盆踊らない街

[ミュージックは動詞なんだぜミュージッキング、という提案があるご時世ですから、「盆踊り」も、名詞としてちょこんと座らせていないで、盆踊ったり、盆踊らなかったり、動詞化していいんじゃないか、の巻]

輪島せんせの「踊る昭和歌謡」に昭和初期、新民謡隆盛の頃に盆踊りがさかんになったという記述があって、これはあくまで序論・前史だから、まあいいのだけれど、たぶん、京都・大阪は盆踊らない街だったような気がするんですよね。

大阪の夏祭りはむしろ7月がメインで、昭和初期には獅子舞が、いままでやっていなかった神社にも取り入れられるなど、にわかにさかんになったらしい。これは瀬戸内海に広がっているらしいとも言われる「だんじり文化圏」と絡んでいたりするのではないかと思わなくもない。泉州のだんじりは有名だが、一部、河内のほうにも入っていて、八尾の盆踊りの河内音頭との関係がどうなっていたのか、というのがポイントかもしれない。

一方、京都は、中心の都市部も、周辺の農村部(今はほとんどが都市化or郊外化しているが)も、地蔵盆とか六斎念仏とか、これも独特ですよね。

昭和の東京は、盆踊っていたのかどうか。名古屋や福岡はどうだったのか。

「盆と正月」などと言いますから、帰省先であるところの地域と、普段働いている人たちが帰省していなくなっちゃう地域における夏の過ごし方の違い、ということもあるかもしれませんが。

大栗裕の「大阪俗謡による幻想曲」(1956)や「雲水讃」(1961)は、盆踊らない街としての大阪や京都を、マンボ・ニューリズムの昭和30年代の世相を背景に扱った音楽なのかなあ、と思ったりします。

一方、真島俊夫が吹奏楽で描く「和」(「3つのジャポニズム」のねぶた祭りとか)は、最大公約数的に、和の祭りといえば盆踊りだろう、楽器は和太鼓に決まってるよね、というのが前提になっていて、そこに乗っかりつつ、ちょっと違う趣向を加えているような気がする。そのあとで書いた「5つの沖縄民謡」は、またちょっと様子が違う。