教会と修道院

よく理解できていないのは信者ではないからなのかもしれませんが、教区の司祭さんがいて、子どもが生まれたら洗礼を受けて、祝祭日のミサに参列するのは教会で、一方、修道院は、脱俗した人たちが戒律を守って生活する施設なわけだから、こんな言い方をしたら全方位的に怒られるかもしれませんが、いわゆる「L」と「G」の話というのは、「L」に分類された大学さんは、今後は文科省が派遣した司祭が統括する教会にします。そして、「G」に分類された大学の皆さんは、修道院として厳格な戒律のもとで禁欲生活を送ってください、みたいなことかもしれませんね。

ただ、キリスト教から禁欲が出てくるのが、やっぱりどうもまだはっきりとは理解できない。

禁欲のヨーロッパ - 修道院の起源 (中公新書)

禁欲のヨーロッパ - 修道院の起源 (中公新書)

最近流行の「性の歴史」「身体の歴史」の文脈で、ギリシャ、ローマの鍛えられた身体を賛美する文化を継承しつつ克服するところから、キリスト教的な「禁欲」が出てきたのではないか。つまり、身体の鍛錬を重視する文化のなかにいた人たちが、改宗にも「肉体改造」が必要だと思っちゃったのではないか、という説明の仕方があるようで、そこはちょっと面白かった。

あと、隠者、修道士の発祥はエジプトの砂漠だ、というが、実は当時の隠者、修道士の切り詰めた生活は、エジプトの貧しい農村の生活水準からすれば、むしろ食料の備蓄とかして、結構、余裕があったのではないか、という見方があるみたい。都市に住む人たちが「禁欲」を美化・伝説化して語り伝えた可能性ですね。

修道院にみるヨーロッパの心 (世界史リブレット)

修道院にみるヨーロッパの心 (世界史リブレット)

いずれにしても、修道院・修道会は、修行する場所・土地がないと続かないところがあって、やっぱり喜捨と結びつく、ということのようですね。そして大きな修道会や騎士団は、各地にネットワークを広げる土地所有者になってしまう。

修行・禁欲、身体の制御というのは、どうしても個人から集団へと組織されていく性質をもっている、ということでしょうか。=体育会的なものの原型なのか?

日本に明治期にキリスト教が伝わったときはプロテスタントが主流だったし、戦国時代のイエズス会も宗教改革以後の運動ですし、ローマ帝国時代から中世初期のキリスト教の話は、キリスト教以外の何かになぞらえて類推しないと、なかなか実感がわかないですね。

キリスト教とローマ帝国

キリスト教とローマ帝国

これは、キリスト教にその後の色々なものの起源・原点をみるのではなくて、ローマ時代のキリスト教に現代の新興宗教についての研究成果をあてはめちゃう本のようで、当否はともかく、新しい宗教(カルト)がどうやって広がっていくものなのか、の説明としては、なるほどと思うところがある。

カルトとセクトは別概念だ、とか、言われてみればそうですよね。