2010年の教訓

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

この本が出たのが2010年10月で、翌年著者はめでたく阪大准教授に迎えられて、この本はサントリー学芸賞を得た。

で、確か東大での学位論文の審査も慌ただしくこの時期に進んでいたのではなかったかと思うが、それはともかく、

著者が、激しく共感する、自分と同じような問題意識で書かれている、と言っていたのが、ほぼ1年後の2011年10月に出たラーメンの本と、

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

ラーメンと愛国 (講談社現代新書)

同11月に出た「中国化」本だ。

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史

本が出たのは震災後だが、企画・構想は震災前にあったはずで(ラーメン本の元になったアイデアは既に著者のブログに書かれていたし、「中国化」というアイデアを與那覇潤はこれ以前に論文として発表している)、3.11直前の思想が本の形で残されたと見ていいと思う。

3つの本が共通して指し示そうとしたものがあるとすれば、それは何だったのか、と考えると、戦後日本のナショナリズムは、インターナショナリズムによって創られた、ということだと思う。では戦後の最も有力なインターナショナリズムとは何かというと、左翼ですよ。

輪島祐介が労音や五木寛之や竹中労を名指しするのに比べて、與那覇潤は「中国」や「帝国」としか言わないし、速水健朗は、ラーメンの話なのに中国・台湾の存在を著書から隠して、大衆ナショナリズムの話にしてしまったけれど、少なくとも與那覇本は、国際関係がナショナリズムを創る、という構図に乗っていますし、敗戦後の左翼の台頭に注目しています。速水が隠そうがどうしようが、ラーメンの登場が、これと無関係なはずがない。

人はすぐに物を忘れますが、2010年頃には、戦後の大衆文化と「左翼ナショナリズム」の関係が面白がられていたのです。

武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな

武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな

武智鉄二 伝統と前衛

武智鉄二 伝統と前衛

  • 作者: 小田幸子,西澤晴美,児玉竜一,志村三代子,権藤芳一,中村富十郎,茂山千之丞,笠井賢一,坂田藤十郎,川口小枝,岡本章,四方田犬彦
  • 出版社/メーカー: 作品社
  • 発売日: 2011/12/23
  • メディア: 単行本
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「いやらしい映画を撮る変なオジサン」として記憶された武智鉄二の「伝統と前衛」に四方田犬彦が注目したのも、同じような切り口ですよね。

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で、それから5年経ってどうなったか。

踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書 454)

踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書 454)

輪島祐介の2冊目の単著の序論、モダンなムーヴメントが「古さ」を偽装するメカニズムの大変わかりやすい説明は「左翼ナショナリズム」の絵解きと解釈できそうですし、本題であるところの1950年代の「ニューリズム」は、アメリカ経由のラテン音楽がどこまでもポップに踊り続けられた話ですから、前著で扱った演歌(アメリカン・ポップスが「左翼ナショナリズム」の磁場でしっとりした「日本の心」に化けた)の明白な対案ですよ。

カタコトとか言いつつ、輪島祐介は非転向だな、ということがわかる。別に、宗旨替えするいわれはないしね(笑)。

「つながり」の戦後文化誌: 労音、そして宝塚、万博

「つながり」の戦後文化誌: 労音、そして宝塚、万博

そして「つながり」という3.11以後っぽいキーワードを表に出すまとめかたになってはいるが、労音・宝塚・万博という三題噺で、戦後の大衆文化と左翼の関わりをナショナリズムとは違う文脈で切り取る試みも現れた。左翼的な「ナショナリズム/インターナショナリズム」を相対化して捉え直す準備が徐々に整いつつあるように見える。

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で、わからないのは、『踊る昭和歌謡』を面白い面白いと言う人たちのなかに、今頃になって「左翼ナショナリズム」を持ち出す動きがあることだ。

あんたらは、『嗤う日本の「ナショナリズム」』(北田暁大、2005年)に激しく同意しながら、つい5年前は、「左翼ナショナリズム」を散々からかってたんとちゃうんかい。それがいかに「教条的」で「古くさくて使えない」か。そんなことばっかり言って見向きもしないで、そういう己の態度にお墨付きを与えてくれる護符であるかのように上記3作を歓迎しとったやんかいさ(笑)。

まあ、軽佻浮薄な人というのは、昔のことを蒸し返しても聞く耳持たんに決まってるから、それはええよ。

でも、わずか5年前に古くさくて使えなかったものが、今急に現役の武器として役に立つと思うのは妄想が過ぎるのではないか。

中古品として倉庫で埃をかぶっていた火縄銃を持ち出してきて、どうするのか、と思うんだよねえ。

暴発するから、それは使わないほうがいいよ(笑)。

「リクツやない。オレはクビになって路頭に迷うのが怖いんや」

ということなんやったら、素直にそう言うたらええねん。どうするのがいいか、考えるのはそのあとや。変な道具を持ち出して、カッコつけようとしても、話がややこしくなるだけでっせ。

とりあえず踊るか? 多少は気が晴れるやろ。

あと、真面目な話として言うと、その種のナショナリズム火縄銃は、インターナショナリズムとワンセットなので、こっちをどうするか、ちゃんと考えとかな、あかんで。国際テロでもやるつもりなのか。そうじゃないやろ。