官僚制を考える(2)

上のエントリーの続きだが、

しかしそうはいっても、

「トップに立つ人は往々にして引退間際に駆け込みで色んな改革をやるものである」

というのとは全く逆の事例

「トップに立つ人は就任直後こそやる気満々で改革を連発するが、最後は勢いが落ちでレームダック状態になる」

もあり得るよね。

一般に、格言は正反対の内容のものがワンセットで存在しており、結局、そのときそのときで気に入った方を選ぶしかないようになっている(笑)。

で、「中の人」にとって重要なのは、格言の当たり外れよりも、その人が辞めたらあっさり元に戻せそうな改革なのか、実行すると元に戻せなくなる改革なのか、とか、「この人はそういう性格だから」ということで内々に納得して処理できる規模なのか、関係各方面の了解を取り付けたり、大々的にアナウンスしてやらないといけない規模なのか、とか、具体的な影響の見極めだよね。

そして何より、その号令がどこでどういう風に自分(の役職)と関わってくるのか、という個人の利害。

囲碁将棋でも、「切り違えは一方を伸びよ」とか、格言が膨大にあるが、実際の対局では、プロは様々な可能性を読むのが基本みたいだし、最近話題のコンピュータの囲碁将棋でも、格言に相当するルーチンを組む、という設計になっているプログラムはないと思う。基本ルールを実装して、あとは、過去の対局のビッグデータ(と言うのかしら)を検索して、どこを集中的に計算すればいいのか、可能性を絞り込み、当たりを付けるしくみになっているようだ。

だから、過去の記譜を読み込む、のところは、「既に引退した人間に問い合わせる」に似ていると言えなくもないけれど、囲碁将棋ソフトは、過去の着手例のコピペはしないよ(笑)。

可能性を絞り込むところに過去の記譜を使うだけで、範囲を絞り込んだら、猛然と、もしくは淡々と計算する。

格言は、「中の人」が実際に物事を処理するときの思考ルーチンというより、これはこういうことなんや、と、「外の人」や傍観者に事態を説明して、納得してもらうための補助線なんだと思う。

外見や局所的なしぐさを既存の生物そっくりに模倣してロボットを作れば、シロウトの安心を取り付ける役には立つだろうけれど(展示会で踊る ashimo はなかなかいい感じ、とかね)、でも、そういう模倣は、演劇止まり(ex. 平田オリザ)で、その先がないよね。

使えるロボットの中身は別な風に作られている(のだと思う)。

同様に、ある係争案件に本気で関心をもっている人は、漏れ伝わる格言だけでは納得しない。

どこがどうなっとるんや、と突っ込んで訊かれるか、格言野郎では埒があかん、と思われるか、あるいは、具体的なことをまだ言えない段階なのかなあと好意的に受け止めつつ静観するか、いずれかになろう。

世の中の騒動の何割かは、「大山鳴動して……」だったりするしね(と、格言風の成句で締める(笑))。