権利と感謝

「かくかくしかじかの権利を保障されている、その権利を守らねば」

というのは大事なことだが、ではその権利をいつどのように誰に対して行使するか。

たとえ、いついかなるときに行使してもいいのだとしても、実際の行使は特定のときと場所で特定の個人に対して、ということになる。

そして行使された側にとっては、不意打ちだよね。不意打ちであったとしても適切に応対するのが、その権利を尊重するということなのだから、適切に応対するのが社会常識なのだとしても……。

で、この種の社会正義(正義と権利は right という同じ言葉ね)と個人の都合のかみ合っているような、かみ合っていないようなモヤモヤ感の持っていき場をどうすればいいかというと、

多くの社会では、

権利を行使した側が、それに適切に対処してくれた側に「ありがとう」と感謝すると思う。

外国語の会話学校で、通常最初に挨拶とお礼の言葉を習うのは、たぶん、そういうことだよね。

「家来が主君に尽くすのは当然じゃ」

となると、縦社会の迫り来る黒い影だ(笑)。