最先端技術としての聖歌写本

……ということで、アウグスティヌスを考えるために『声と文字』を読み直してみたのですが、

声と文字 (ヨーロッパの中世 第6巻)

声と文字 (ヨーロッパの中世 第6巻)

この本は、10世紀頃の西洋の書き物に登場する「分かち書き」こそが「黙読」という行為の有力な証拠である、という論理構成になっていて、議論の本筋は、「黙読」を推奨したイングランドのベネディクト派修道院の書き物が「分かち書き」されており、彼らが大陸に「黙読」とセットで「分かち書き」を広めたのではないか、ということなのだけれども(第3章)、

著者は同時に、これとは別系統で、イスラムの科学書が南欧でラテン語訳されるときに、アラビア語に倣って分かち書きされていたことも指摘している。

分かち書きには、イングランドから南下する「黙読/内省」系と、イスラム圏から北上する「科学/論理」系の二系統があるらしい、という話になっているようです。

こういう既にイスラムが強大化した中世後期の見取り図と、ローマ帝国がバラバラになっていくアウグスティヌスの古代末期は、簡単にはつながらなそうで、まだまだ、話は遠いですね。

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今わたしたちが知っているグレゴリオ聖歌の中世写本は、「楽譜でたどる音楽史」の出発点ですけれども、既にイスラム/十字軍の時代で、ギリシャ伝来の musica の理論は必須の前提になっていて、北方系なのか南方系なのかはともかく分かち書きが当然ということで各地の修道院で作成されたのですから、たぶん当時としては最先端のハイテクですね。

バッハを「音楽の父」と呼ぶのは器楽中心の近代音楽(いわゆる「クラシック音楽」)の狭い世界の話に過ぎない、西洋芸術音楽史はそれより少なくとも千年は遡ることができる、ということで、一般には「古楽」と呼ばれて、今では西洋音楽史をグレゴリオ聖歌から説き起こすのが普通になっていますけれども、

グレゴリオ聖歌が「西洋音楽の起源」であるかのように思えるのは、楽譜を通してアクセスできる範囲での話に過ぎない。そして「楽譜の世界」の向こうにまだその前があることを忘れないためには、聖歌の中世写本を「古くて、意味のわからない呪文」と遠ざけるよりも、これが当時の最新ハイテクだった(それ以前の様々な技術・文化の高度な集積である)と捉えておくほうがよさそうですね。

(そしてこれは、20世紀以後のニューメディアの文化史が、サイレント映画や蓄音機以前を「わけのわからない古代」と表象するのはまずいだろう、というのと、ちょっと似ている。)