大学論・中間決算

前に、日本音楽学会がどういう経緯で創られたのか、を調べましたが、

http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/msj.html

結局のところそれは、戦後の学制改革でそれまで「大学」ではなかった分野が大学化して、それに伴い、当該分野の学会が創られた、という玉突き現象みたいなところがあったようです。

昭和ヒトケタ世代は、学会が創られたときに院生としてこれに参加して、助手→助教授→教授→博士号授与→名誉教授と進んでその分野の重鎮になったわけだから、戦後の大学というのは、旧制高校(もしくは旧制中学)から新制大学に進んだ狭間の世代にとって、最も幸福な制度だったと言えるのかもしれません。

で、大学院改革というのは、まるでこの人たちの引退を待っていたかのように1990年代にスタートするわけですね。

教授になるところまで走り続けてようやく博士号、というのをひっくりかえして、そもそも博士号を取得しないと研究職には就けないことにしちゃおうというわけですから、この変更は大きいし、こういう大きな変更は、戦後新制大学制度の最大の功労者たちがいなくなってからじゃなければ、とてもじゃないが無理だったのであろうということで、大学院改革が1990年代だったのは、あながち偶然や思いつきとは言えないかもしれません。

新制大学の50年は、制度スタート時の大学生(戦前旧制教育のエリート候補生だったので学力は高い)が平和な文化国家(?)にふさわしく立派な感じで引退するまでに必要な年月だったのかもしれない、ということです。(息子の世代が一人前に「二世学者」になるところまでを円満に見届けることができたみたいだし、「二世たち」(←彼らは同時に、共通一次以前/一期校・二期校入試の最後でもある)も、改革大学院制度が軌道に乗るまでの不景気で色々苦しかったかもしれない20年の「中継ぎ」として、なかなか健闘したんじゃないでしょうか。その集大成がアベちゃん的な現在だということで、賛否両論ではあるようだが……。)

で、今は大学院改革スタートからおよそ20年ですが、考えてみれば、新制大学も、はじまってから20年くらい経ったところで、一度大揺れに揺れてますよね。例の「1968」というやつです。

あれが何だったのか、色々な解釈がありますが、学費とか助手の待遇とか、結構、具体的な学内問題が学生さんたちの「決起」のきっかけになっていたようにも見える。戦後生まれの団塊さんが大量に大学生になって、既存のしくみと齟齬を生じた面があったっぽいですよね。それを小さな発端に過ぎないと見るか、そこが大事と見るか、論者のイデオロギーに応じて、判断は分かれるのでしょうけれど……。

で、新制大学20年ということは、教員側の事情としては、例の「昭和ヒトケタ」世代が助教授から教授になって、講座の責任者になろうか、という頃合いですよ。大正生まれの丸山眞男は、東大の騒動で衰弱して大学を辞めてしまいましたが、ここを踏ん張って乗り切った人たちが、その後「学界の重鎮」になったわけですね。当時、立教で教え始めだったらしい蓮實重彦は、そのあと東大総長にまでなっちゃったり、とか。

制度を立ち上げて20年、新制度下で育った世代(戦後世代)が大学まで上がってきたところで問題発生というのは、つまりは、ようやく新しい学制が一巡して、その分、不具合が見つかっても不思議じゃない時期だったのかもしれない。

そしてここで、賛否両論はあるにしても、一定の対応をしたから、さらに30年保ったのでしょう。

結果的には、1968年の騒動というのは、戦後の新しい学制の「中間決算期」だったように見える。

で、現在ですよ。

ごく単純に、そろそろ「大学院改革」による新しいしくみの「中間決算期」が来ており、だから何かとガタガタしている、ということなんじゃないんですかね。

戦後の学制は、50年続いてようやく、昭和ヒトケタ世代の大学人人生の最初から最後までをカヴァーすることができた。

大学院改革とともに大学人生活をスタートした人たちが人生を全うするには、今ちゃんと「中間決算」をやっといたほうがええのやろう、と思いますわ。

1968年の中間決算は人数が急増した「学生」が声を上げる形だったけれど、2010年代の中間決算は、どうやら、もっとダイレクトに「カネ」とか「経営手法」とか、が問われているっぽいですよね。

「一生もの」の物件は、やっぱりメンテナンスも大変。大学や学問も、例外ではないのでしょう。たぶん。

(で、嫌ならゲームを途中で降りるのも当然自由だが、これが「はじめに博士号ありき」という条件提示にいち早く名乗りを上げた「キミたち」のゲームなのは動かしがたい気がする。それは、その時点でさほど不当ではないルールとして関係者が合意してはじまったようだし、別に誰かが嫉妬したり、強い意志を持って邪魔をしようとしている気配も……ないと思うけどなあ。

ここはどうなってるの、とか、あれはどういうことだったのかなあ、とか訊いたら、罵り認定+呪いが返ってくるようなので、じゃあ、あとは好きにすればええがな(笑)。

ベストポジションにつけているキミたちにしか出来ないことがある、というのは、たぶん客観的というか歴史的というか、な事実として、おそらく動かしがたいことなのだから。

学問は学問として大事、既に稼働しているシステムの運用はこれもまた大事、ということにすぎぬ。)

http://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E5%92%8C%E5%A3%B0%E2%94%80%E2%94%80%E7%90%86%E8%AB%96%E3%81%A8%E8%81%B4%E6%84%9F%E8%A6%9A%E3%81%AE%E7%B5%B1%E5%90%88-%E6%9E%97%E9%81%94%E4%B9%9F/dp/4865591206/

大学院改革スタート当初は、「知の三部作」とか、駒場のリベラル・アーツさんが元気いっぱいだったけど、20年後の中間決算では、既に死に体か(失礼!)と思われていた上野の音楽学校が、(国策音楽出版社と手を切るつもりなのかどうかは知らないが)新興民間出版社と組み、果敢に仕掛けておりますね。どっこい通奏低音は生きている、決して和声のアルケオロジー“ではない”宣言。

日本的ポストモダンへのアンビヴァレントな感情をもっていなさそうなところが、いっそすがすがしい、かもしれない。