「読譜する公共圏」

バッハ(晩年は自費出版にご執心)、ベートーヴェン(悪筆で自筆を他人が読めない)、ブラームス(未出版手稿を慎重に破棄)、いわゆる三大Bの楽譜出版重視の姿勢は偶然ではないかもしれない。

シューマンは何をどういうタイミングで出版するか、相当考えていそうだし、メンデルスゾーンは自作の出版に異常に慎重。先に台本を出版してから作曲するワーグナーの態度も、オペラ作曲家としては独特な気がします。

ドイツの作曲家のこのような出版重視の態度は、パリのショパン、リストや、イタリアのオペラ作曲家たちと際だって違っているかもしれない。

ナショナル・アイデンティティ絡みで何か言えそう。

「音楽の国ドイツ」は、読書する公衆、ならぬ、読譜する公衆が創ったのか?

(吉田寛先生の本における楽譜の独特の扱い方までつながっている問題のような気がします。「ドイツ音楽」は、本と楽譜を同等に読める人たちの文化で、それはおそらく、絶対音感とかいうのとはちょっとズレる。

東京藝大のパリ音楽院を範とする近年のソルフェージュ教育改革の動きとの関係も、一度ちゃんと考えたい。)

楽譜でわかる クラシック音楽の歴史: 古典派・ロマン派・20世紀の音楽

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ドイツ音楽の「読譜する公共圏」を体感できる日本の現役出版物というと、これでしょうか。