ふと思ったのですが、
allgemein が universe、完全無欠な円に比される普遍を意味するのだとしたら、temporal な俗世の「今」を報じる Zeitnung が allgemein を名乗る18世紀から19世紀のドイツのジャーナリズムは、subjektive Allgemeinheit に近い態度(アンチノミーって言うんですか?)を宣言しているようにも思えてきますね。
カントの判断力批判における主観的普遍性
die subjektive Allgemeinheit in der Kritik der Urteilskraft
と、普遍時報における批評と判断
Kritik und Urteil in der allgemeinen Zeitungen
文字だけ見ると、同じ単語群を前後逆に並べ変えただけのようにも思えてくる(笑)。
潜在的にマキャヴェリ的なのかもしれない俗世の決断が、歴史哲学と接合した普遍神話と出会うには、なるほどふさわしい舞台装置だった、ということでしょうか。
ドイツ教養主義のゆりかごですね。