人文科学技術としての古典精読(津上英輔『メーイのアリストテレース『詩学』解釈とオペラの誕生』)

メーイのアリストテレース『詩学』解釈とオペラの誕生

メーイのアリストテレース『詩学』解釈とオペラの誕生

アカデミアと劇場、ということで言えば、アリストテレスがギリシャ悲劇を主として詩作(戯曲)の観点で論じた書物から、世俗の祝祭がさかんになりつつあったルネサンス末期イタリアのカメラータの人々は、いかにもそういう時代の人々らしい思いを胸に、古代演劇の上演様式に関する情報を取り出そうとしたわけですね。

二千年の時を隔てて、著者の意図と読者の欲望が若干食い違っていたようです。

そして文献学と古典精読の技術と方法が当時としては最高度に厳密であったにもかかわらず(現在の批判校訂版にも彼らの所見が数多く採用されているらしい)、というより、人文主義者のアカデミアが誇る古典精読の技術と方法を限度を超えて厳密に適用したが故に、アリストテレスの「詩学」から、すべての言葉を歌うドラマの姿が見えてしまった。

なるほど、「(創造的な)誤読」として、文献解読者のジロラモ・メイに一切の責任を負わせる(「事件の責任はすべて現場にある」みたいな(笑))、というのは不当かもしれない。(そんな物言いをするから死者が出るんだ!)

本書は、丁寧な手つきで順を追って各種文献・史料をたどり直して、メイの主張がアリストテレス「詩学」のほとんど逐語的な翻訳と言える語彙で組み立てられていること、そして彼の主張に古典精読の作法から外れたところ(いわば職務を逸脱した違法行為)はないとの結論にたどりついています。

(メイの「創造的誤読」がオペラを誕生させてしまったのではなく、メイは正当な手続きで「詩学」を読み、その知見をもとにオペラが成立したのだから、フィレンツェのカメラータのオペラは、古代ギリシャ悲劇の非嫡出児ではなく、むしろ、正規の嫡男だ、という津上先生の主張は、さすがに言い過ぎではないかとは思いますが、被告の弁護人は、これくらいのレトリックを弄してもいいのかもしれない。「歴史に全能の裁判官はいない」ということを私たちはしばしば忘れて、現在の視点から過去を裁いてしまいがちなので、文献学者は、物言わぬ過去の弁護人として、これくらい強い反対弁論をしておいたほうがいいのかもしれません。)

そもそも現代のわれわれから振り返り、当時の状況を見れば、「〜がなかった」、「〜に縛られていた」と否定的な表現しかできないのだが、その表現自体が、現代の状況を前提としている点で、すでに均衡を欠いている。古典文献学において、自然科学と異なり、理論の積み重ね以外に、対象(作品)そのもの、すなわち本文の文言が姿を変えることに注意しよう。しかも研究とその対象が本文批判という形で一体化する複雑な構造も忘れないでおこう。つまり、アリストテレースが何らかの形で『詩学』という本を書き残して以後、親本(exemplar)から一語一語を書き写す筆写人は、多かれ少なかれの解釈を施しながら写本を作成したはずだから、その写本は解釈という継承の産物である。また、写本に基づいて本文を校訂する編者は、それまで積み重ねられてきた研究の成果を踏まえて一語一語を選ぶだろう。そしてその本文は新たな研究の前提として、次の解釈に貢献するだろう。このように、資料状況というものは常に流動態にある。その点、21世紀のわれわれも、16世紀の古典学者たちと少しも変わるところがない。(10頁)

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とはいえ、オペラの誕生は、津上先生の報告を踏まえてなお、警察の科学捜査班があまりにも職務に熱心で、解像度の低い証拠写真の背景に、存在しない被疑者の姿を見てしまったようなところがあるかもしれない。

(「科捜研の女」沢口靖子は、なぜ、容疑者Xを犯人だと思ってしまったのか、ジロラモ・メイが沢口だとしたら、その所見を自著で広めたヴィンチェンツィオ・ガリレイは内藤剛志なのか、みたいな。)

でも、長い目で見れば、そんなことで現場はメゲないんですよね。

まともな職場なら上司もそのあたりはわかってくれます。

そしてオペラの誕生から400年経ったところで、事件を手稿史料に遡って精密に検証する津上先生が登場する。

(津上先生が、東大の詩学講読のゼミでこの研究を着想して英国の図書館まで行ってしまうのも、ミステリー小説仕立て、現場の科学技術者っぽくて、いいお話です。)

バレエとダンスの歴史―欧米劇場舞踊史

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ちなみに、ルネサンス期ヨーロッパで知られていた「詩学」の唯一の写本は、フランスにおけるバレエの生みの親とされるカトリーヌ・ド・メディシスの所蔵だったらしい。となれば、やはりここは、鈴木家のパパ、晶先生の本を挙げておくべきであろう。