哲学の歴史社会学

では、ホンモノの哲学とは何か? 前回にもちょっと触れましたが、存在とか認識とか自我とか時間とか、いやずっと絞っていくと、「存在」と「認識」だけでいいかもしれない、アリストテレス、いやもっと前から天才哲学者たちが問い続けてきた根源的テーマに関わり続けることです。

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「とは何か」と領域の特殊性を切り出そうとすればそういうことになるのだろうと思うけれど、でも、アリストテレスもプラトンも、デカルトもカントも、フッサールもハイデガーも、「存在」と「認識」以外の色々なことに手を出しているのはどう考えたらいいのだろう。

哲学を哲学として切り出して営むのは、20世紀固有の条件だったのかもしれない。

純粋哲学が応用もしくは疑似哲学と対立して取り扱われたのは、純粋小説が通俗小説と対立して取り扱われたのと同じことなのではないか。