では、ホンモノの哲学とは何か? 前回にもちょっと触れましたが、存在とか認識とか自我とか時間とか、いやずっと絞っていくと、「存在」と「認識」だけでいいかもしれない、アリストテレス、いやもっと前から天才哲学者たちが問い続けてきた根源的テーマに関わり続けることです。
巷にばら撒かれる「ニセ哲学」に警戒せよ | 哲学塾からこんにちは | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
「とは何か」と領域の特殊性を切り出そうとすればそういうことになるのだろうと思うけれど、でも、アリストテレスもプラトンも、デカルトもカントも、フッサールもハイデガーも、「存在」と「認識」以外の色々なことに手を出しているのはどう考えたらいいのだろう。
哲学を哲学として切り出して営むのは、20世紀固有の条件だったのかもしれない。
純粋哲学が応用もしくは疑似哲学と対立して取り扱われたのは、純粋小説が通俗小説と対立して取り扱われたのと同じことなのではないか。
- 自然科学と社会科学の間 http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20150403/p4
- 「直観」考 (1) 閉じた偏屈を開く方法 http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20150403/p1
- 「直観」考 (2) 中間者の贅沢 http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20150404/p1