中綴じ・平綴じ・糸かがり

国文学の方は、和本にふれて巻子とか粘葉装とか袋綴じとか、そういう言葉を知るのだと思いますが、そうじゃない場合でも、本を作るとなると、編集者さんと製本のことまで相談したりするものなのでしょうか?

製本では、折丁とか、丁合をとる、といった和本伝来の用語が今でも使われ続けているらしいことすら、さっき知ったばかりなのですが、

覚えたばかりの言葉を嬉しがって使ってみますと、

大栗裕は、オペラやオーケストラの総譜については自前で「糸でかがる」ところまでやっているけれど、ラジオやテレビの放送用の音楽の場合は、バラの五線紙を表紙でくるむところまでしかやっていないことが多い。

(ただしこの場合でも、丁合はとれている。楽譜の整理はなかなかちゃんとしていたようです。)

オペラやオーケストラの総譜は、指揮者が持ち歩いて稽古から何度も使うので綴じておかないとマズいけれど、放送の場合は、作曲に充てられる時間が短いし、録音セッションで1回使うだけだし、ほとんどの場合、作曲家が自分で指揮する(=他人に見せる必要がない)から、綴じる手間をかけていられない、ということなのだろうと思われる。

で、五線紙は二つ折り1枚4面20〜30段の既製品(多くの場合、放送局から支給されたらしくロゴが入っている)を使うのだが、

(1_2 (3_4 (5_6 7_8) 9_10) 11_12)

こんな感じに中綴じ風に紙を束ねた楽譜はほとんどない。

(紙をこういう風に使うためには、書き始める段階で全体の分量がわかっていないといけないわけで、あらかじめ草稿を作っておかないと難しい。)

短い曲はペラ1枚とか二つ折り1枚。それより長い場合は、

(1_2 (3_4 5_6) (7_8 9_10) 11_12)

というように、大栗裕の放送音楽の総譜は、ほぼいつも、平綴じ風に五線紙を継ぎ足して書かれている。

おそらく下書きなしに、いきなりスコアをどんどん書き進めたのだと思われます。

まあ、合理的なところへ落ち着いている、というだけのことではありますが、実際に時間に追われていたこともあり、仕事が速いし、効率的に仕事を進められるように色々工夫するタイプだったんでしょうね。

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ところで、ひたすらスキャン作業をしていると、手を動かしながらあれこれ考えをめぐらせてしまう。

何枚の紙をどういう風に使っているか、表記するには ( ) を対応させてLisp風に書くのがいいんじゃないか、というのも、作業をしながら思いついた。

ペラ1枚の裏表に書いてあるときは、

(1 2)

同じ紙の表と裏は切り離すことができないので、つなげて書いたほうが読みやすそう。

(1_2)

裏が白紙だったら

(1_-)

二つ折り4面を使っていたら、

(1_2 3_4)

あいだにペラを1枚挟んでいるときは

(1_2 (3_4) 5_6)

という風に括弧をネストさせればいい。

挟んである紙が二つ折りだったら、

(1_2 (3_4 5_6) 7_8)

となる。

で、二つ折り一枚を開いた片面に1曲、裏面に別の1曲が書いてある場合が稀にあって、これは、頁の並びが

(4_1 2_3)

となる。[最初、書き間違えていたのを直しました。]

……手稿研究には、こういう我流でやりくりしなくても、使いやすく慣習化した記法があったりするのでしょうか?

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いずれにせよ、こういう風な記法を思いつくことができるのは、紙という物体には、必ず「表」と「裏」の二面あって、それ以外の面がないからなわけですが、ちょっとしたトポロジーですよね。

〈裏〉日本音楽史: 異形の近代

〈裏〉日本音楽史: 異形の近代

などと考えて本屋に行ったらこの本を見つけて、読むと序文は「表通りだけでできた街はない」という風に書き出されており、「裏」は、表通りと対比した「裏通り」の意味合いらしかった。

でも、英語にすると、表通りは main street、裏通りは side street だから、「表」と「裏」ではなく、「主」と「脇」になってしまうんですけどね(笑)。

紙の場合は front side / back side、コインだったら head side / tail side で、日本語が「表/裏」と呼び分けているものが、「前」と「後」になってしまう事例もあるようだ。

たぶん著者は、紙(書類・文献・史料)の「表(オモテ)」に堂々と正式に記載されることがないような事柄という意味合いで「裏」の語を使っているような気がする。裏や余白に痕跡があるだけだったり、ほとんど紙に何も書かれていない事柄であったり、というように……。

実はこのような意味合いでの「表」vs「裏」意識は、「紙の国ニッポン」特有だったりするかもしれないなあ、などと思った。

西洋流の rational と irrational は、割り切れるか割り切れないか、という区別で、砂の上に図形を描いて判断するような事柄と思われている気配があり、「表か裏か」とはならなさそうですもんね。

「紙の国ニッポン」における洋楽の輸入とは、昨日まで「表」に筆で縦書きされていたものが、ある日突然「裏」に回されて、見慣れない横書きの活字が「表」を占有する、というような、「紙の上の出来事」だったのかもしれない。