事業規模

クラシック音楽で一番事業としての規模が大きいのはオペラで、欧米の本式の劇場だったら演劇より一回り大きな事業だと思うけれどそれでも映画とは事業としての桁が違う。

クラシックとは動いているお金の額が違うはずのポピュラー音楽(レコード産業)を考えても、文化産業・娯楽産業としての「聴覚文化」は、「視覚文化」と比べて、事業としての規模が小さい。

聴覚現象は受け手の「時間」を奪うので、事業規模以上にアピールしてしまいますが、

音楽のメガヒットは、中小企業がアイデア商品で一発当てた程度の話で、全盛期のハリウッドの世界同時公開ブロックバスター方式とは比較にならないはずです。

(音楽産業の実体は小さい、というのは、ポピュラー音楽論の研究書でも指摘されているのを読んだ記憶がある。

「視覚性」で批評家が立派な理論を作れるのに、音楽評論家が「聴覚性」の理論を作ったりできないのは、「聴覚文化」が事業としてショボいのと無関係ではないかもしれない。

突飛な比喩かもしれないけれど、「視覚文化論」はNASAがスペースシャトルで宇宙ステーションと定期的に往復する事業になり得るのに比べて、「聴覚文化論」は、JAXAがはやぶさくんをペンシルロケットにくっつけて飛ばして、薄氷の思いでイトカワまで行かせるようなもの。知恵とワザの零細企業だと思う。ハンスリック/ワーグナー/ヘルムホルツが大きな存在に見えているのは歴史上の例外だし、ほんとに彼らが「でかかった」のか、偉大に見えているだけである可能性を払拭できない。

ダールハウスも、Musik zur Sprache gebraucht というアンソロジー(今思えばこのタイトルは「言説史」を指していますね)で、「音楽が天下を取ったことなど一度もない」と書いていたはず。)

で、ジャズは、往年のビッグバンドなら別だが、モダンジャズの事業規模は室内楽くらいだろう。オケや有名演奏家のソロリサイタルより、はるかに事業規模が小さくて、その分、回数で稼いでいると思う。

(有名ジャズクラブとゲンロンカフェの事業規模って、実は大して変わらないんじゃないか(笑)。)

まとめると、興行としての規模は、

ジャズ < クラシックコンサート < 演劇 < オペラ < ポピュラー音楽 < 映画

だと思う。

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何がいいたいかというと、

ジャズと映画では、なかなか話を噛み合わせるのは難しいだろうなあ、ということです。

表象・言論界でのプレゼンスはそれほど違わないように見えるかもしれないけれど、背負ってる実体経済の規模が違いすぎる。

普段はそういうことを当然の前提としてわきまえている人でも、クリティカルな状況になるとそのあたりがすっ飛んでしまうのだから、「言説空間」なるものを想定するのは、(「システム論」で比較のしようのない分野を仮説的に比較しちゃおうとする理論社会学と同じくらい)とんでもなくアナーキーだ、ということです。

「散文は昨日生まれたばかりである」というのは、そういう意味でもあると思う。