いずみホールで吹奏楽

もう3週間前の話になるが、そのあと書く機会を逃していたのが「旧大阪市音楽団」(「しおん」という音だけ残した英語表記になってしまったが、それではどこの団体だかわからないのでこう書くことにする、化粧品や家電の新製品をこれから Dior や Sony に対抗してグローバル展開するつもりなんだったら Shion というアルファベットのブランド名が適切なのかもしれないが……)のいずみホールでの演奏会。

3月に改名して、そのタイミングでNHK大阪がそこまでの1年を取材した番組を放送するという周到ぶりで、番組をみると、なるほどそういう広報を展開できる人がスタッフに入ったのだな、とわかったわけですね。

2月のフェスティバルホールでの定期演奏会の最後にスピーチしていたのが、その敏腕スタッフさんであったらしい。

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そのような背景を知らずに2月にスピーチを聞いたときには、コンサートの最後に「私たちの決意」を語る発想が、アマチュア吹奏楽コンサートに似ているなあ、と思った。

高校生や大学生の年に一度の定期演奏会の最後に、アンコールでマイ・ウェイとかを演奏しながら、「私たちはこの演奏会で卒業します……」とかなんとかアナウンスが流れて、3年生が立ち上がってスポットライトを浴びる

というような演出が、昔、流行ったじゃないですか。(今もあるのでしょうか?)

大阪市音楽団名義の最後の定期演奏会でのスピーチは、それを思わせた。

ちょっとクサいけれど、まあ、吹奏楽っぽいからいいかな、と思っていたのだが、

このスピーチをした人がどういう人なのか、NHKの番組で「種明かし」されてみると、実際にアマチュア吹奏楽経験者みたいで、なるほどやはりそうか、と納得した。

(と同時に、彼の「○○はマストです」という話法が、営業畑で働いてきたこの世代では普通のことかもしれないけれど、橋下くんと妙に似ていたのも印象深い。だからどう、ということではないが。)

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で、4月のいずみホールでの吹奏楽演奏会である。

数年ぶりにいずみホールにこの楽団が出演するのも、「○○はマスト」話法の人の営業努力なのだろうから、この調子で仕事を増やしていただければ、ということなわけだが、

指揮の現田さんがホルストやリードのスコアを真面目に読んで曲を作ると、世間のコンクールやアマチュアコンサートでなんとなく演奏されるのとは全然違うテンポ、サウンド、解釈になって、そこが面白かった。

こういう風に、ちゃんと楽譜を読んで演奏を作ってくれる指揮者は、吹奏楽では貴重なので、これ続けた方がいいと思う。

営業をたくさんやることが必要な時期なのはわかるが、演奏家としてモチベーションを維持できる、活動の芯になる何かが要ると思うのですよ。

定期演奏会は、大きなホールでフィリップ・スパークとかヴァンデルローストとか、まあ、それでいいと思う。お客さんをたくさん集めて採算が取れるようにしないと話ははじまらない。

でも、それとは別に年に1回くらいは、いずみホールでやる。吹奏楽はやかましいだけじゃありません、という演奏をそこで仕上げる、というのが、いいんじゃないだろうか。

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吹奏楽ワールドのなかにいる限りでは日本で有数の歴史を誇るプロ楽団だが、いずみホールで演奏すると、「ライヴァルは関西フィル」という感じの一回戦ボーイからのスタートになる。

でも、そういう地道な取り組みを定期的にすべきだと思う。

「ワーグナーをシンフォニーホールでやったり、フェスティバルホールで黛敏郎をやろうとするとオーケストラにはかなわないけれど、吹奏楽の特色を生かした作品の丁寧な解釈では誰にも負けない」

みたいな方向へ展開することは十分に可能だろう。

現田さんのまじめな指揮のおかげで、そういう可能性が見えた。

(「○○はマスト」話法の営業さんも、このあたりがわかってくると、見かけ倒しな橋下とは違うな、ということになっていくんじゃないだろうか。周囲の妙な横やりで足を引っ張られないためにも、音楽のことがわかる営業、という装備が要ると思う。)

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「住民投票」の結果がどうなるのか、明日やってみないとわからんが、どっちに転んだとしても、2015年は、(1) 当座のお金をかき集めて開催されるいかにも短命で虚しい感じの空騒ぎ、と、(2) メディア的には地味だけれど長続きしそうな取り組み、の色分けがくっきりする一年になるんじゃないかと思っております。

そしてさらに言うと、(1)と(2)の色分けがくっきりしたその先で、(1)の空騒ぎで悪のりしちゃった人たちの中から、お金の使い方で暴走して、悪気はなく私利私欲に走ったわけではないのだけれども不正と認定されざるを得ないところへ踏み込んじゃって犯罪絡みに転落する人が出てきてもおかしくないだろうなあ、と私は予想している。それもまた人生、かもしれないが、批判・悪口・やっかみ、とかではなく、予防の意味で、敢えて今ここに書いておく。大阪という街は、過去にも、時流の転換期に、しばしばその種の「ダーティな暴走」があったわけで(←もちろんこれは、特定の個人や団体を想定しているわけではない一般論だが)。