市民・国民・ネット民

日本の「中央」にいる人たちの報道は、「大阪在住の日本国民」が右派(国家主義改革派)と左派(福祉国家維持派)に分かれて争った、という構図だと思う。

そして左派が土壇場で踏ん張ったことは、右派がヘゲモニーを握る「中央政局」の今後を占う試金石になるであろう、云々と解説される。

でもねえ、橋下くんが仕掛けたのは、「大阪市民である前に日本国民である前向きなグローバル人間」と、「日本国民である前に大阪市民である後ろ向きなローカル人間」の二択、という構図だと思うんですよ。

都市生活者が市民と国民の二重のアイデンティティをもつのは、ごく当たり前のことなのに、敢えて分けろ、どちらか一方を選べと迫ったわけで、そこが陰惨だったわけです。

で、「中央」の人たちは、「日本国民である前に大阪市民」みたいな心性をあざ笑って一切無視するわけですね。

そこが、「中央の人たちは実はみんな橋下シンパなんじゃないか」という不信を生んでいるんだと思う。

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しかもややこしいことに、今のニッポンには、「国民である前にネット民」であるようなスーパーグローバルな思想地図を思い描く人たちがおる(笑)。

そして彼らは、「市民」より「国民」のほうがスーパーグローバルに近いってことで、都構想支持を表明したりするわけだ。

民間人が商売としてゆうてるだけなんで勝手にしたらええけど(笑)。

東京はどないなっとりまんねん、ってことだよね。