音楽史はどこで断線しているか?

ハイドンとモーツァルトとベートーヴェンは互いに面識があったり師弟関係だったりする。そしてモーツァルトはロンドンでクリスティアン・バッハに会っているし、ベートーヴェンとエマヌエル・バッハの間は1人か2人間に挟めば間接的に師弟関係がつながりそうな気配があるので、彼らとザクセンのバッハ一族も辛うじてつながっていると思われる。

音楽は特殊技能なので、たいていこんな感じに人と人の直接のつながりで伝承されるところがあるようで、1830年以後の音楽のロマン派も、ベルリオーズとリストとショパン、メンデルスゾーンとシューマンとブラームス……というように人間関係をつないでいくことができる。で、このネットワークはたぶん20世紀半ばくらいまでずっとつながっている。

が、ときどき、関係が途絶えることがあるようだ。

たとえば、1830年に世に出るロマン派世代は、しばしば熱烈なベートーヴェン信者だが、実はベートーヴェンやシューベルト、ウェーバーとは関係が切れているし、もしこうした貴族社会を生きてきた旧世代が1830年を越えて長生きしたとしても、社会階層から考えて1830年以後に台頭するブルジョワ出身の音楽家とは話がかみ合いそうにない。

1830年世代が過去とのつながりを強調するのは、むしろ、実際には関係が切れているから観念上のつながりをことさら強調して切れ目を隠蔽しているのだと思う。

そして20世紀のどこかに「断線」があるとしたら、それは1910年とか第一次大戦とかではなく、1940〜45年ではないかという気がする。それ以前にヨーロッパで活躍していた人たちの多くが北米などへ移住してしまって、ダルムシュタットに集まった若手は、先行世代と直接のつながりをもつことができていない。

現代音楽への好悪を言うのであれば、この「断線」具合を冷静に見極めるのが先決ではなかろうか。

回路が一度切れちゃったんだから、今さら失われた過去をあれこれいってもしょうがない。既に存在しないものは、どんなに泣き叫んでも、もうないんだよ。

特殊な宗教にすがって守護霊を呼び出しもらうならともかく……。