「物語化」の歴史社会学

音楽に物語を被せようとする試みを論じることを「音楽物語論」と呼ぶのは止めて欲しい。

(だいいち、問題設定がメタのメタで議論の階層が深すぎる。)

音楽と朗読を組み合わせるメロドラマの一種を「音楽物語」と呼ぶ日本語の慣例(交響的物語「ピーターとおおかみ」とかそういうやつ)とバッティングしてややこしいから、別のタームを考案してください!

あと、音楽に物語を被せようとする試みは、過去に何度かあって、毎回挫折しているわけだが、「音楽物語論」に期待をかける人たちは、過去の戦績をちゃんとわかっているのだろうか。

音楽に物語を被せるのは、知的な営為、「研究」ではなく、一種の病理、「わかっちゃいるけどやめられない」「やめられない止まらない」の依存症に傾きがちな衝動として処理するのがいいと思う。

そして、「かつてドイツにはそのような衝動があった、これを退治する正義の味方が英米の音楽物語論である!」みたいに、本当は自分自身が毒されている症状を他人に投影・転移して語るのは、病状がかなり進行しています。

ある時代や地域や文化に属するある種の人々がなぜ音楽に物語を被せたくなってしまうのか。近代の臨床社会科学としての社会学の診察を受けるのがいいと思う。