黛敏郎のマンボ

先の山崎正和の山村工作隊といい、1950年代には、私(たち?)の知らないものが、まだいろいろ埋もれていそうな気がする。

輪島先生がマンボにはじまるニューリズム・ブームを見事に掘り起こしたわけだが、黛敏郎のトーン・プレロマス55でサクソフォーンがマンボ・ナンバーファイヴを吹き続けるのを、マンボが大好きだった大栗裕は、やられた、と思ったんじゃないか。

この曲の「ソリスト」として印象に残るのは、赤線地帯でも活躍したミュージック・ソウなわけだが。


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ところで日本にサクソフォーンが入ってきたのは具体的にいつどこでだったのか。軍楽隊だろうと思うのだけれど、特定するのは案外面倒かもしれない。

吹奏楽の楽器編成の変遷、つまり、いつどの団体がどういう編成だったかということについては、日本に限らず、案外はっきり特定されていないことがあちこちに色々残っていそうな感触がある。

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で、pleroma というのは、これまた面倒な概念らしいですね。まだちゃんと整理できていないが、「もはや戦後ではない昭和30年/1955年」の「満たされた私」って感じがする。脱デフレの今プレロマを考える。

はたして昭和30年代は、三丁目の夕日風に牧歌的で慎ましかったのか?