盆と滝川

近代国家の曲がり角で「学生」という特異な身分の集団が立ち騒ぐ、というと、日本の場合、滝川事件がその華やかな例のひとつとして知られるわけだが、

あれは初夏に勃発して、全国に広がる気配を見せたのが、夏休みで学生が帰省したところで流れが変わったとされるらしい。

しかしそれにしても、

「何万人を動員」とか「工費何千億円」とか、参照点をどこに取るかによって評価が分かれそうな微妙な数字をめぐるプロパガンダ合戦は、当世風なのかもしれないね。

少なくとも言葉の上では、どこまでも「解釈」が争点になっている。

http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20150712/p1

片山杜秀も「機関説」に言及しているが……。

http://magazine.artespublishing.com/web/katayama_morihide_essay

21世紀の滝川事件の末、「闘いのあと」には、再び武智鉄二(経済学部で運動に加わったようだ)みたいな人が出てくるのだろうか。

武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな

武智鉄二という藝術 あまりにコンテンポラリーな