「羽」と妖怪人間

わが師 井口基成 どてら姿のマエストロ[ムジカ]

わが師 井口基成 どてら姿のマエストロ[ムジカ]

関西歌劇団における武智鉄二の4回目にして最後の創作歌劇公演(1957年秋)のために「羽」(原作:小泉八雲)を作曲した田中正史が2010年まで存命で、妖怪人間ベムの音楽とか、その後東京で旺盛に仕事をしていたことを知った。

昭和40年代は、ニッポンの楯になりたい人もいたが、「早く人間になりた〜い」の時代でもあった。

(京都の南安雄もそうだが、関西の放送局で仕事を始めた人の多くは、その後東京へ行ってしまう。そして関西に残った大物を「東洋のバルトーク」とか「なにわのモーツァルト」とか周囲が持ち上げるのは、放送の東京一元管理体制が完成した昭和50年代以後のことだと思われる。)