70年後に明かされるということ

70年前の真性の迫害と亡命の物語、近衛秀麿がナチス支配下のドイツでどうやってユタヤ人音楽家を助けていたか、その足跡を追う話である。

戦火のマエストロ 近衛秀麿

戦火のマエストロ 近衛秀麿

1980年頃というから戦後40年くらいが過ぎた頃には近衛秀麿を含む当事者・関係者の多くが亡くなり、存命の高齢者たちが次第に重い口を開いてヒントや証言を残していたようなのだが、それでもまだ、ストレートに情報をオープンにできる情勢ではなかったようだ。

(実際、1980年代以後、証言と記録を組み合わせて様々な「戦争の検証」がなされ、記憶の歴史・構築主義など、解きほぐしがたくこじれた問題を取り扱う枠組みが提案されてきた。しかしそうした試みの意義を認めた上で、40年50年では、やはりまだ事態は十分に遠い過去にはなっていなかったと言わざるを得ず、「戦争の検証」は、数々のやっかいな政争を巻き起こして今日に至っている(よね)。)

さらに20年30年が過ぎて、直接の当事者が世を去っただけでなく、彼らからヒントや証言を託された人たちのタイムリミットが迫りつつあるなかで、ようやく準備が整って公表される事柄もある。

戦時下のドイツで近衛秀麿がどう振る舞ったか、「悪事・スキャンダル」ではなくても、70年後にならないと表に出すことができなかったようですね。

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仮に「今のニッポン」が非常に悪い状態なのだとして、2090年頃にならなければ口外できないような複雑でクリティカルで綿密に計算された善行があり得るとしたら、それは、どのようなものになるんですかね。

今義憤に駆られている人こそ、こういう本を読むべき、と思う。