没後50年

山田耕筰は1965年12月29日に亡くなっているので、私の人生は山田耕筰と18日間だけ重なっていることになるようだ。

山田耕筰研究は後藤暢子先生がいて、先頃評伝が出たし、音楽学会では山田耕筰を扱う発表がこのところ毎年のように何かある感じになっているので、皆さんの成果をありがたく利用させていただければいいと思っていたのだけれど、

さっき調べてみたら、春秋社の作品全集(これに先だって作品目録も日本近代音楽館から出ているし、著作全集も出ていて、20世紀型批判全集の王道を行くんだろうなあ、という感じでスタートした)は、第1巻(管弦楽曲1)、第4巻(ピアノ曲)、第5〜9巻(独唱曲1〜5)、第12巻(合唱曲)の8巻以外は春秋社のサイトでも存在を確認できないので、1997年に管弦楽曲1が出たところで止まっているのかもしれない。歌劇や舞台作品をどこに入れる予定だったのかわかりませんが、あれは、本気で校訂しようとするとものすごい作業量になりますからねえ……。パート譜から何からすべて集めて、写譜者A、B……とバッハ研究風にやろうとすると死ぬと思う。

(とはいえ、作曲家全集が途中で止まるのは海外でもそれほど珍しいことではない。歌曲の3〜5巻は、私が買おうとした2000年代初め頃には既に在庫切れだったし、部数はあまり刷っていなかったんじゃないかと思う。)

で、日本楽劇協会という由緒ある団体は今も生きていて、その許諾を得て2005年からクラフトトーンという会社が山田耕筰作品集に取り組んでいるようだ。出版と管弦楽曲の貸し譜という形になっているようで、音楽をめぐる様々な現状を考え合わせると、2015年現在、これが穏当な落としどころなんだろうなあと思います。

学者は学者で、学問の処遇への不平不満であるとか、どこで妥協するか、どこで突っ張るか、という判断があるように、著作物を実際に持っている人や団体も、どこでどう動くか、判断は常に流動的だ。

欧米の大作曲家の扱いといかに違っているか、みたいな論法で嘆いているだけでは仕方がないのである。

(そして、いつも引き合いにだして申し訳ないが、日本音楽学会が数年前にやった「日本の楽譜」なる調査は、こうした実際に著作物を運用している人たちの立場が全然視野に入っていない形になってしまっていて、ホンマ、あかんかったと思います。)

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で、しかし没後50年の山田耕筰の場合、TPPだとかで著作権保護期間が70年に伸びるのがいいのか、50年の今年で切れてしまうのがいいのか、これは、簡単に善悪を言えないと思う。