理論的なチャレンジをするわけじゃないので後回しにしていたが、New Grove 第2版の transcription の項目は短いけれども民族音楽学における数々の採譜の提案がコンパクトに概観してあって、学生時代にこのあたりを色々読んだのが思い出されて懐かしい。やはり、客観的・記述的を追い求める路線は袋小路っぽいところへ入り込んでいるようだ。
で、arrengement の項目を見ろ、という指示があるのでそっちへ行くと、Malcolm Boyd (バッハの評伝を書いていたりする18世紀音楽の専門家という理解でいいのでしょうか)のまとめがとてもよく出来ていた。
簡潔な概念整理のあとで、いきなり、編曲ってのは commercial interest が外側から強力に関与するものであって、music printing の invention がこれを加速したんだよ、ってなことが書いてある。なるほどこういう風に言っておけば、実にスムーズに「J-POPのパクリ問題」であるとかコピーライトの話に接続するじゃないか、と思ったことであった。
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編曲は通常 different medium form へと置き換えるよね、
と最初にバシっと言ってるし、
楽器奏者はぶっちゃけレパートリーを拡充したい欲求から編曲するんだよ、
とか、
編曲は reworking であって、しばしば original composer の作品というより the work of the arranger になっちゃうよね、
とか、
「声楽→器楽」が主流だったのが、「器楽→器楽」のパターンが出てくるのはバロックの新現象、
とか、
19世紀で新しいのは楽器の音色への関心とピアノの台頭、
とか、
順当に色々なところへ目配りしているのがわかる。
事典の項目というのは、こういう風に書くとすっきりして、なおかつ、かっこよくなるんですね。
ブゾーニの「作曲とは編曲である」という警句に引っかかると、知恵の輪をガチャガチャいじくり回すように悶々としてしまうわけだが、パズルはこういう風に解けばいいようだ。
(「問題」を誰かが解いて、それを踏まえて次へ進む、というプロセスは、数学の証明ほど表に打ち出されることなくテクストにこっそり埋め込まれて、わかる奴がわかればいい、という風になっていることが多いけれど、人文科学にも、ちゃんとあるよね。)