track number / session / piece と work

track number とは何か?

映画フィルムの「サウンドトラック」とか、磁気テープの「2チャンネル4トラック」とか、というのと、LPやCDの「トラック番号」では、track の語の意味合いが少々違っている気がするけれど、どういう風になっているのか、少し考えてみた。

track は「わだち」なので、磁気テープのヘッドが読み取るラインを track と呼ぶのは直観的によくわかるし、映画のフィルムには、映写するコマの脇に音声情報の「小径」が設けてあるわけですね。

円盤型レコードに刻んである溝を track と呼ぶのも、同じ発想だろうから、それ自体は何も変じゃない。

      • -

で、気がついたのだが、エジソンの筒状の蝋管に対抗して考案された円盤型レコードは、いわゆるSP盤の段階では片面78回転で収録できる長さが3〜5分なので(10 inch = 25cm で3分、15 inch = 30cm で5分らしい)、流行歌などは片面1曲だったわけですね。

50年代にロングプレイ(LP)が出てきて、片面にSPの5、6面分を収録できるようになってはじめて、溝(track)の途中に数秒の無音の空白を設けるようになったのだと思われます。この無音の空白(曲と曲の境目)は、LPだったら、無音の箇所はツルツルだから見たらわかるし、CDは曲頭に直接スキップできるように、インデックスを用意する仕様になっている。

言うまでもなく、ロングプレイ(LP)が登場するまで、現在SPと呼ばれている円盤は「ショート」ではなかったのだから、単にレコードであって、ショートプレイとは呼ばれていなかったはずだし、

「アルバム」という言葉は、SP盤に交響曲やオペラを収録しようとすると1作品でディスクが数枚から数十枚必要で、実際にアルバム状のケースに入っていたことから来ていると説明されたりする。

      • -

そしてLPやCDは、盤面やインナースリーヴに収録内容、曲名・曲順が書いてあって、そこに番号が振ってある。これを track number と呼ぶわけだが、

「円盤型レコードは片面に複数のトラック(tracks)が収録されている」

というのは、ひょっとすると、これもまた、「アルバム」という言葉がSPからLP/CDへ継承されたのに似て、SP盤の「片面1曲」時代を前提にした言い方だったのではなかろうか。

だって、実際に円盤に刻んである溝自体は、LPやCDになっても切れ目なく1本につながってますもんね。

      • -

音響再生産技術と総称するならそれでもいいが、円盤型レコードだけが、フィルムやテープのような帯状の記録媒体とは別様に track の語義を変容させているわけで、これは、何やら味わい深く、兆候的な気がするのです。

何の兆候なのか、まだ、はっきりとは言えないけれど、

「モノラル片面1曲」

というSPの仕様は、やはり、LPやCDの未発達な前段階と見るのではなく、むしろ、こっちが円盤レコードという技術の「古典」だったのではないか? そのように考えることを言葉たちが求めているような気がしないでもない。

重ね録りにおける track と session

大栗文庫の録音資料の整理がまとめの段階に入って、

複製芸術時代においてもなお、「作品」は抽象的な概念であり続けている

という思いが、録音テープをめぐる考察では track 概念を基礎に据えるしかない、という思いとともに強くなっているのだが、このことを言うときには「重ね録り」がクリティカルな事例になるだろうと思う。

録音テープに自由に重ね録りを続けると、テープに残された痕跡(track)はひとつにつながっているけれど、中身はごちゃごちゃしてコラージュみたいになるわけですね。

こういう事例は、そもそも、そのテープに残された痕跡の状態をどのように記述するか、というところで苦労する。既に前に書いたように、オープンリールテープは録音のやり方がいくつもあって、1本のテープにさまざまな形式でtrack(s)が刻まれ得る。全巾モノラルの上に半巾モノラルや半巾ステレオで重ね録りされていて、なおかつ、テープをどちらの方向に使うかも自由なのだから、できあがったものは、まあ、ややこしい姿をしている(ことがあり得る)わけです。

大栗文庫の200本のテープの場合、そのうち約1割がそのような「重ね録り」を施されている。

(それ以外の約180本は、1本のテープにひとつの演奏会やひとつの番組、ひとつの作品がひとつながりで録音されているので、大栗裕のテープの使い方は思ったよりも丁寧だということになるかもしれない。録音や録音テープを大切に扱っているのは、磁気テープが高価な貴重品だったからなのかもしれませんね。このあたり、磁気録音という同じしくみであっても、オープンリールとカセットテープは、やっぱり別のメディアだったんじゃないかと思う。)

で、さしあたり、「重ね録り」という行為の痕跡を記述するために、session という概念を導入するのがいいのかな、と思っている。

1本のテープの中身が、

  • 1. 作品Aのレコードのダビングの冒頭: 全巾モノラル
  • 2. 演奏会Xのライヴ録音の末端(テープの逆の端から録音されている): 半巾モノラルで片側のトラックのみ使用、もう一方のトラックでは作品Aのレコードのダビングが続いている
  • 3. ラジオ放送αのエアチェック1回分: 全巾ステレオ
  • 4. 演奏会Xのライヴ録音の冒頭(テープの逆の端から録音されている)半巾モノラルで片側のトラックのみ使用、もう一方のトラックでは作品Aのレコードのダビングが続いている
  • 5. 作品Aのレコードのダビングの末端: 全巾モノラル

という状態だとしたら、

  • session 1 作品Aのレコードのダビング: 全巾モノラル
    • 1. 作品Aのレコードのダビングの冒頭
    • 5. 作品Aのレコードのダビングの末端
  • session 2 演奏会Xのライヴ録音: 半巾モノラル(片側のみ使用)
    • 4. 演奏会Xのライヴ録音の冒頭
    • 2. 演奏会Xのライヴ録音の末端
  • session 3 放送エアチェック: 全巾ステレオ
    • 3. ラジオ放送αのエアチェック1回分

という風にまとめることができそうだ。

さて、これをどう考えるか?

piece と work

先日の track から作品概念を考え直す話だが、ポピュラー音楽の作品概念は芸術めいた面倒事を抜きにしてドライに語ることができるはずだ、というような議論を増田聡先生が2000年頃に仕掛けて、あれがその後どうなったのかはよく知らないのだけれど、私の知っている頃の彼の議論は「曲 piece」と「作品 work」をうまく区別できていなかったように思う。

で、LP/CDの track number と呼ばれるものは、「作品=仕事」の単位である場合もあれば、そうではない場合もあるが、track を区切った「piece(切片・断片)」なのは確かだから、あれは「piece number」と呼ぶのがいいんじゃないか。

(ただし、日本語に対応させるときには、「piece = 曲」ということでいいのか、「曲」とは何なのか、整理しておいたほうがよさそうだが。)