新芸術・国際協調・新体制・サブカルチャー・マネーゲーム: 「短い20世紀」も一枚岩ではない

ドイツでは新ウィーン楽派以後の動きを「新音楽 Neue Musik」と呼ぶが、考えてみれば、19世紀末以来のアーツ・アンド・クラフト運動が全ヨーロッパに波及した現象がフランス語ではアール・ヌーヴォと呼ばれているのだから、世紀転換期の動向は、「新芸術」と形容すればいいのかもしれない。印象派とクリムトと青騎士と、ドビュッシーとマーラー、シュトラウスとシェーンベルクと、ストラヴィンスキー(初期)とスクリャービンを、全部そういう風に括ってしまうわけである。19世紀の機微を知り尽くした人々が目指した「新しい真実」路線である。

そしてこの「新芸術」は、後世から見ると、20世紀のアートの礎であり、色々なものを予言したかのように見える。直接的には、第一次世界大戦という、西洋のインテリが振り返って「未曾有の危機」であったと総括することになる事態を予言していたかのように語られるわけだが、つぶさに観察すると、彼らの「新芸術」運動は、第一次世界大戦で一時停止する。プライドの高いアーチストたちは、当時のブルジョワたちの平均的な理解にのっかって、積極的に戦争に加担して、芸術どころではなくなったからである。

精神の変容 (現代の起点 第一次世界大戦 第3巻)

精神の変容 (現代の起点 第一次世界大戦 第3巻)

一方、第一次大戦後の、戦場から戻ってきた「恐るべき子供たち」がアヴァンギャルドを標榜して好き勝手なことをやる白々とした自由の10年(「大恐慌」までの)は、「新芸術」世代の予言の的中もしくは継承ではなく、ウィルソンの国際連盟(新興国アメリカにもソ連にもまともに相手にされなかった)とかワイマール憲法と同等に「絵に描いた餅」と見た方がいいかもしれず、その意味合いを込めて「国際協調の時代」と言いたい気がする。(アレックス・ロスの20世紀音楽論も、この時代をほぼそのように見ているよね。シェーンベルクとミヨーがエールを交換して、ドナウエッシンゲンで現代音楽の会議やパーティを開くとか、いかにも「机上の空論」じゃないですか(笑)。)

20世紀を語る音楽 (1)

20世紀を語る音楽 (1)

で、この軽やかな祝宴がダメになったあとで、「三つの新体制」(シヴェルブシュ)が来る。1930〜1950年には、政治的メッセージの有無や方向は様々だが、音楽においても、フル編成のオーケストラ音楽というような、巨大・壮大なモニュメントが乱立している。

三つの新体制――ファシズム、ナチズム、ニューディール

三つの新体制――ファシズム、ナチズム、ニューディール

この20年が、私には「みんなの芸術」の時代に見える。調性音楽と安定した小節・拍子は、20世紀に入ってヨーロッパ音楽の特性というより、音楽の common practices になったという風に北米の学者たちが主張するが、そのような「commons」を樹立したのは、この「三つの新体制」であったように思う。第二次世界大戦は、第一次世界大戦のように芸術活動を一時停止させることなく、むしろ、それまで以上に銃後の文化を(半ば強制的に)拡充させている。

20世紀の前半をこのような三段階に整理すると、第二次世界大戦の終結は、「切断」ではなく、新体制のアップデートに見える。戦後の実験芸術や若者文化や古楽運動は、文化人類学(民族音楽)と並んで、新体制=common practices という土台の上にトッピングされた彩り、サブシステム、標準化されたOSの上で動くアプリケーションだったのではないか。

そしてこのようなメインとサブのヒエラルキーを、あたかもそのようなものがないフラットな状態であるかのように見せかけることに成功したのが1970〜1990年の「短い20世紀の最後の20年」だと言えるかと思うが、その鍵は、「68年の思想」や若者たちの反乱やポストなんとかイズムではなく、金本位制をやめちゃったことなのではないか。「世界システムにおけるアメリカの覇権=グローバリズム」と言うけれど、アメリカがドルの価値をゴールドで担保することをやめたのは、1970年代のことに過ぎない。

(1984年のロサンゼルス・オリンピックは、金本位制を止めた新しいマネー経済の旗印だったのかもしれないねえ。ゴールドから解放された状態でかき集めたマネーでイベントを開いて、参加者に「金メダル」を配ったわけだ(笑)。)

マネーゲームのイメージで20世紀を語るのは時代錯誤、歴史の改竄だと思う。(ユダヤ系金融資本を強調するNHK「新・映像の20世紀」は俗悪な人種差別の温床になりかねない。)あれは20世紀を終わらせるトリガーに過ぎないように思うのである。

東側の社会主義陣営にとって、自由主義実体経済はイデオロギーとして到底受け入れられなかったが、マネーゲームであれば採用するのにやぶさかではないと言えたのではないか。既になし崩しにどんどん壁を越えて浸透してどうしようもなくなっていた(いる)のだろうし……。

「ザ・資本主義」が「ザ・社会主義」に勝利したわけではなく、1990年は、硬直した労働者独裁計画経済に対して、マネーゲームが特効薬、格好の解毒剤になったという臨床症例報告であって、理論の勝敗が決せられたというのとは違うと思う。90年代以後、共産党独裁を今さら擁護・信奉する人はいなくなったが、カール・マルクスは、北米の学者がそれを口にしてもレッド・パージされない思想史上の安全な固有名詞のひとつになった。(それはつまり、明言できないけれどもマルクス主義を背景に背負っていた批判理論やポストモダニズムが、「なんとなくリベラル」や「ポモ」のゲームへと解毒された、ということでもあろうかと思います。)

そして「ジャパン・マネーの躍進(バブル)とその崩壊」は、この1970年代80年代の経済における特効薬の副作用に過ぎないと思う。ドラッグの服用で悪い夢を見たようなものだ(笑)。