三木佐助

鉄道唱歌は、大阪の三木佐助が出版してヒットさせたんですね。

渡辺裕や色々な人がそのことはきっと書いているのだろうけれど、ちゃんと読んでいないので、知らなかった。

1825年に貸本屋として創業した河内屋佐助商店の4代目店主で、1888年にオルガン販売を皮切りに洋楽器の製造販売や楽譜出版を手がけて、開成館・三木楽器に育てた人物だ。

ドイツから帰国した直後の山田耕筰に三木露風歌曲集を刊行をもちかけたのも三木佐助だし、明治末から大正の洋楽シーンで、この人の存在感がどの程度だったのか、ちょっと気になる。ちょうど、永井幸次が大阪に音楽教師として赴任して(1906)、唱歌の教科書で儲けて音楽学校をはじめた時期(1915)なわけだが。

(2015年で大阪音楽大学は100周年。現在の本町の三木楽器本社ビル=指定有形文化財ができたのは、創業100周年の1925年だから、三木楽器は前史を入れると既に創業190年。)