その仕事の責任者は誰か?

私が、昨年10月に精華大学での研究発表を準備する過程で、視聴覚資料を良好な状態で使用できるかどうかの事前確認を再三要求したのは、権利者から使用許諾を受けて借り受けた視聴覚資料の運用について、責任を負っていると考えたからである。

しかし、例会担当者は、何度問い合わせても返答せず、仕方がないので、私的に知っていた携帯電話で連絡すると、「たぶん大丈夫でしょう、いちおう確認しておきますが」と言うばかりであった。

そして実際の発表では、こちらが作成したDVD-Rと、大学の映像機材の組み合わせでは解像度が合わず、視覚資料の大半は使い物にならなかった。

私は、発表者と例会当番校の間に入った例会担当者が、実際には責任を取り得ないにもかかわらず、「私の責任でうまくやります」と口約束したことが、問題の発覚を当日まで持ち越した事例であったと考えている。

当日使用できなかった資料のうち、再利用・再配布が可能なものは、既に私のウェブサイトで公表しているが、これは、「だからいい」ということではなく、私は、担当者の不手際を、こちらが尻ぬぐいした、と認識している。

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このときの例会担当者は、増田聡先生ですが、この件を、先生はどのように総括していらっしゃるのでしょうか?

先生のtwitterで、ちょうど官僚組織の「無責任体質」論が出ていたので、このタイミングで、先生のご回答をいただければ、幸いに存じます。

先生が関心を寄せていらっしゃる「無責任体質」論(在野の日本人論でこの説がさかんに言われたのは今から十数年以上前だと私は認識しています)が、現在の具体的な事例の検討において有効なのかどうか、そして、会員の voluntary な取り組みで運営されている学会組織の現状は、「無責任体質」を免れているのか、いないのか、など、議論をアクチュアルに展開する格好の素材ではないかと、当方は考えております。

当事者の一人として関与した事案が、一段落して沈静化して、なおかつその記憶が鮮明である今のタイミングは、その事案の「反省的考察」に丁度良いのではないか、とも思いますので。