終身雇用と年功序列

戦後日本の多くの職場と同じように、日本の大学では、おそらく現在も暗黙のうちに両者が不可分一体に見えるが、両者のリンクを切るだけで随分風通しが良くなるんじゃないだろうか。

だって考えてみれば、学長・教授・准教授……というのは、偉さの序列ではなく、単に研究組織を運営する上での職分の違いですよね。官僚的な組織で取り組まねばならない研究・教育課題というのは確かにあるけれど、個人単位でやれることもあるのだから、その都度、最適な布陣を選べるようにしておいたほうが都合が良さそうな気がします。

副業があったり、資産がある人は、非常勤で一生を終えても大丈夫かもしれないし。

日本以外では、働き盛りの中堅が学長になる例があると聞くし、もう大学は講座制じゃなくなりつつあるらしいから、教授が准教授より年長でなければならない、というのも、あまり必要なさそうですよね。

定年までずっと助手だけれど、研究費は外部と提携したり、競争的資金を得て、研究には特に不足がない、というケースがあったっていいじゃないですか。

文科省はバカだ、と大学教員から(主にネット上で)罵倒され続けているけれど、研究費の募集・運用方法とか、大きな動きとしては、終身雇用と年功序列のリンクを切る方向に動いていて、それは、世間の動向にもかなって、それ自体としては悪くないように思う。

せっかくお膳立てしているのに、教員のほうが、ああだこうだ、と動こうとしない、というのは、文科省をバカだと言っている教員のほうが、外から見ると、愚かに見える。

(前にも書いたことがあるけれど、大学教員の役職は、現役力士の番付(教授=横綱、准教授=大関、とか)ではなく、引退した親方の相撲協会での役職みたいなものだと思うんですよね。現役力士が親方株を持って、協会理事をやっているようなものだ。で、日本でも実技系の組織、たとえばチームでやるスポーツや、オーケストラなどの集団音楽での役割分担は、既に、終身雇用と年功序列のリンクを切っている。大学という組織は、まるで、昭和の組織運営の最後の砦のようになっているところがあって、でも、そういう風な「古さ」と「価値」の取り違えは、さっさと返上したほうがいいと思う。)