短期と長期、課題と目的

かつて内田樹は、営利企業の多くが短命であり、10年、20年続く会社の数は実は少ない、という何かの統計をもとに、商業活動は目先の利益を求めて、中長期のミッションを定めないし、その必要がないものなのだ、と診断した。(だから商業活動の論理を教育に適用するのはおかしい、と続く。)

でも、「長続きする企業は実は少ない」が事実だとしても、その短命が、中長期のミッションを定めていないからだ、という因果の認定は正しいのだろうか。ちゃんと調べたのだろうか?

私も何も調べてはいないけれど、

  • 中長期のミッションを設定するが、短期の課題の設定に失敗 → 硬直した経営で短命
  • 中長期のミッションは白紙だが、短期の課題を適切に設定 → 柔軟な経営で長命

という事例がありそうに思うのだが、どうだろう。

  • 営利企業のミッション設定の実態がどうなっているか
  • ミッション設定と経営の成否の関係がどうなっているか
  • 教育が非営利活動の側面をもつとして、営利企業と共通する特徴、相容れない特徴は何であるか

この3つに強い相関があるのかどうか。性急で直観的な決めつけをもとに、「教育への企業倫理の導入」への抵抗運動を組織するのは、本当に大丈夫なのかなあ、どうだったのかなあ、と思う。

政治の議論というと、「総論賛成、各論反対」ということで折衝が揉める、という図式で物事がかたられたりするけれど、ここ数年の動きをながめていると、大阪の橋下氏のときもそうだが、「総論反対、各論賛成」と言いたくなることがある。イデオロギーが相容れない者と短期的に歩調を合わせられそうな局面って、結構あるんじゃないだろうか。