無風の週末

今週は金曜、土曜に大阪で大きな演奏会がないなあと思っていたら、4つのオーケストラは、どこも明日24日に向けて練習日なのでした。

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家で買ったままになっていた本を読む。

「ヒロシマ」が鳴り響くとき

「ヒロシマ」が鳴り響くとき

「ヒロシマ」音楽という文脈は、佐村河内/新垣を冷静に回収できてしまう。グローカルのお手本でもあるし、優れた研究は、個人の能力や才覚や口舌(だけ)ではなく、環境があって成り立つのだと、改めて思う。

日本航空一期生

日本航空一期生

JALの創業には、びっくりするくらい色々なトピックが絡んでくる。白洲次郎が吉田茂の威を借りるブローカー扱いされているところが面白い。

テレビが見世物だったころ: 初期テレビジョンの考古学

テレビが見世物だったころ: 初期テレビジョンの考古学

内容が濃くて、なかなか先に進まないが、技術におけるアマチュアリズム、という話題だけでも大変な広がりがあると思う。

〈フランツ・シューベルト〉の誕生: 喪失と再生のオデュッセイ

〈フランツ・シューベルト〉の誕生: 喪失と再生のオデュッセイ

O. E. ドイッチュ以来の新全集関係者が発信してきた「友人サークル」に関する詳細な情報が、リートの抒情の発生現場という位置づけで、ようやく日本語でまとまって紹介されることになった。ただし、青春文学の装いで、あくまでリートの抒情とは?という問題意識に貫かれているので、精読するのは結構大変な本になった。

シューベルト研究には、ゲオルギアーデスやエッゲブレヒト以来の「言葉と音楽」派と、クルシェネック、シュナーベル以来であるらしい器楽の非ベートーヴェン的論理に着目する「ベルリン」派があるように思う。本書は前者の系譜に一石を投じた、ということになると思うが、器楽を今後どう扱うのか。「詩的瞬間」をすくい上げるリリシズムだけでは交響曲や室内楽やソナタを書くことができないはずなのに、シューベルトは書けてしまったわけで、既に「ベルリン」派が論じ尽くした観のあるシューベルトの器楽については、まだ、日本語で面白く紹介できる文脈を誰も見いだせないまま今日に至っている。

リートについては堀氏がこうして旗を立てたとして、初期ロマン派の器楽について、もう一人くらいは「専門家」として誰かが立つ余地があるように思う。ピリオド・アプローチと室内楽、つまりは、管と弦に強くて、なおかつ、鍵盤音楽についてはバロック、古典派から近現代まで通じている、というような、最強感のある研究者が藝大あたりにいないものか。

「ヒロシマ」と「シューベルト」はすぐに英訳しましょう。日本語を理解する人の間で誉め合うよりも、日本語を理解するかどうかにかかわらず当該のテーマに関心を持つ人たちに開かれているほうが良さそうな内容だと思う。