人文科学のTAP (Trans-Atlantic Partnership) 交渉

20世紀末の北米人文学者たちによる「canon批判」とは何だったのか?

日本では、大学院重点化と同時期の動きということになり、旧制高校出身の長老学者たちが退場したタイミングで、大学を欧州モデルから北米モデルに大幅に近づけようとする制度改革と半ば偶然にリンクすることになった。

それはいいのだが、改めて「canon批判」とは何だったのかと考えると、あれは、ヨーロッパが各国の文化と言語の枠内で進めてきた文化研究を米国・米語の文脈に開いて欲しい、という北米から欧州へのパートナーシップのリクエスト、いわば、Trans-Atlantic Partnership の提案だったのではないだろうか?

18世紀後半北ドイツのシュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)は、フランス発のギャラント趣味、ロココ趣味(小粋な自然体の宮廷文化)が啓蒙思想(「自然へ帰れ」)と絡み合って北ドイツに伝わり、彼の地のプロテスタンティズム(内省重視)との間で独自の化学反応を起こした結果であろう、という解釈があるらしい。

人文科学のアメリカ化=TAP交渉が、「canon批判」というキーワードだけを取り出して日本のロスジェネの「自分探し」と結合したのは、日本版シュトルム・ウント・ドランクだったのかもしれない。

「音楽の国」の教訓から私たちが学び得ることは、「混合趣味のええとこどり」だけではない。