ドイツ研究のためのフランス語

無意識に封印していたかもしれないことを思い出した。

ウェーバーという作曲家は間違いなく面白いし、1990年代半ばの段階では、作品全集の計画が立ち上がったところで、今からでも何かできるかもしれないとかなり本気で調べていたが、「壁」になったのはフランス語だった。

ひとつは、ウェーバーが指揮者としてプラハやドレスデンで上演した作品の多くがフランスのオペラ・コミックの翻訳で、メユールとかボイエルデルデュールとか、そのあたりをどうにかしないといけないらしいとわかってきたが、さて、どうするか。

もうひとつは、1994年にFrank Heidelberger, Carl Maria von Weber und Hector Berlioz. Studien zur Französischen Weber-Rezeption というのが出たこと。ウェーバーの音楽の面白さを真っ先に受け止めたのは、どうやら、ドイツ人以上にフランスのベルリオーズだったかもしれないらしいのだが、こうなると、ハイデルベルガーの博士論文がそうであるように、ドイツ語とフランス語の文献を両にらみに参照しながら話を進めないといけなくなるなあ、とわかってきたのでした。

(今思えば、この件の周囲には、ベートーヴェンへのフランス(の思想・音楽)の影響とフランスのベートーヴェン受容、ベルリオーズのドイツにおける受容など、フランス革命から普仏戦争あたりまでの独仏音楽交流史が大きく開ける気配があって、マイヤベーアのグラントペラとワーグナーの関係を考え直す土台になるかもしれないと思うけれど、当時はそういう見取り図を思い浮かばなかったですねえ。ドイツとフランスとハンガリーを行き来したコスモポリタンのフランツ・リストなんていうのもいたわけだが。)

ヨーロッパの地位を相対化して眺めたほうがいいかもしれない当世の西洋音楽研究は、一国に狙いを絞るのではなく、最低でも独仏伊の三カ国語をできるだけ若いうちに身につけておかないと、しんどいかもしれませんね。

今やEUは、24の言語を公用語にする言語の伏魔殿ですからね。

ちなみに、ヴュルツブルクで学位を取ったハイデルベルガーは、2001年から北テキサス大学にいるようだ。

ベルリオーズ研究のデムリンクとか、ドビュッシー、ラヴェル、メシアン、ブーレーズそれぞれのモノグラフを書いて早くに死んだヒルスブルンナーとか、ドイツ人(やスイスのドイツ語圏)のフランス音楽研究者は当然いるし、そういうことも含めたドイツの音楽文化へのフランスの影響は、結構色々あるはずなのだけれど、日本に明示的に紹介されるルートは確立されていないような気がします。

「ドイツ人にフランスのエスプリがわかるはずがない」みたいな先入観とか、そういうのは、19世紀後半の音楽におけるドイツの覇権(「音楽の国」ですか?)の余波という風に表象・観念の水準で説明することも可能かもしれないけれど、ドイツを研究しようと思う日本人はフランス語をあまりちゃんと勉強しない、というように、大学の(第二)外国語教育のカリキュラムの影響が、ひょっとするとあるかもしれない。

(もちろんこれは、怠惰な学生時代への言い訳に過ぎないが……。

誰もが怠惰なままで過ごしていたら、東京帝大の仏文を卒業して、役人時代に仕事の片手間にモーツァルトやシューマンを訳して、そのあと「20世紀音楽」の「運動」であるとか、レコード音楽をめぐる啓蒙活動であるとか、日本人音楽家の欧米への売り込みであるとか、その種の実践へのコミットメントに中年期の大半を費やしたけれど、最後に歌曲四部作を遺した吉田秀和とか、ドイツ語だろうがイタリア語だろうがフランス語だろうが、辞書を片手に関西歌劇団の訳詞を全部自分で作ってしまった朝比奈隆とか、そのあたりが、やっぱり、西洋音楽への造詣という点では日本人として最高水準であった、みたいな情けない話になってしまいそうですからねえ。)