判断力が問われる

もしその団体が新左翼的な手法で民主主義の諸制度に最適化して巧妙なプロパガンダを仕掛けて、それに半ば成功しつつあるのだとしたら(そしてその見立て・告発はおそらく的外れではないのだろうけれど)、

しかし、だからこそ、その団体が現政権の中枢に食い込み、政権と一心同体である(その団体を打倒するには現政権を倒さねばならない)という世論が沸き上がることは、まさしく、彼らのプロパガンダの満願成就である、ということになるだろう。

「かつてのジョージ・ブッシュ2世がネオリベ石油資本と一心同体であったように日本の現政権は……」と語るシニカルな政治観は、新左翼的な手法を断ち切るよりも、むしろ、延命させて、政治家とイデオロギーの次の組み合わせを呼び込むだけで終わりそうだ。

私は、せっかくの機会なので、今はもっと別のものが見たいと思う。

日本という国は、これからもそのようにシニカルにやっていけばいいじゃないか、と考える精神年齢が老人な人たち(ブッシュの「帝国」だったのかもしれないゼロ年代への郷愁を生きる人たち)が、少なくともネット上では、まだ幅をきかせているのかもしれないけれど、たぶん、あの扶桑社がそういう本を出したのは、政権とその団体を分けることができるという立場なんだろうと思う。ジャーナリスティックに、微妙で面白い判断だよね。

著者も、「私は右翼だが、あの人たちはおかしいと思う」という立場・論法を採用しており、総論賛成・各論反対という地味というか地道な主張を綴る本に見えますね。