中世のヴァーチャル・リアリティ

平安時代の半ばに遣唐使を派遣しなくなって、国風文化が栄えた、というのは疑わしい説明で、実際には、朝廷にオーソライズされずに宋へ渡る僧侶がいたらしい。(與那覇潤が一時期よくこのあたりの話をしていましたね。)

virtual は、こういう風な「実勢/実力行使」を指す言葉だと思う。

浄土教が国内に蔓延したのはこうした virtual な動きがあったからなのだろうし、平氏の台頭、福原遷都の構想は virtual な動きに賭けたのだから、「清盛」のドラマが、汚い、と年寄りを驚かせるくらいのヴァーチャル・リアリティを追い求めたのは、筋が良かったのかもしれない。

平氏が源氏に負けて、平家物語の無常観でこれを慰撫するのは、virtual を fictive とみなす東国史観か。

(90年代以後の「ニッポン」は内向きで、クール・ジャパンが広まったというけれど、本当に「鎖国」していたのだろうか? オーソライズされたグローバリズムがヴァーチャルなうごめきを鎮圧する、ということになると、それは西国発の「維新」という名の近代化(王政復古 restoration であるとも言われるし、世界史的には、北米の「南北戦争」に似た和製 civil war であったとも言えそうな150年前の騒動)のやり直しというよりも、中世東国の源氏っぽいかもしれませんな。この列島は、近畿より西が、点在する島々を含めるとかなり広い。)

[吉田寛と増田聡は、共闘するんじゃなくて、源氏の白旗と平氏の赤旗みたいに気色鮮明に構造的に対立してくれたほうが、周囲はきっと動きやすかっただろうと思うんだよね。もう遅いかも知れないが、人間の「器」というのはそういうことだろう。一方の virtual な運動が fiction に淫して堕落して、他方が fiction の再構築を virtual にやろうとするものだから、どこへ向かっているのかわかりにくくなった。「大学」で何もかも賄おうとするからこうなったのか。]