ビデオゲームの「否定性」?

私は未だかつて(そしておそらく今後も)アーケードゲームにせよ家庭用にせよ、ビデオゲームを自分でプレイしたことがないし、我が家の歴代テレビ受像器には、放送の受信とVHSやLD、DVDの再生以外の使用実績がない。(他人の家で誰かがビデオゲームをやるのを横で見たことは何度かある。何度か……、でしかないが。)

この世代でこういうのは珍しいのか、割によくあるケースなのか、ということすらよくわからないので、素朴な疑問なのだけれど、

少なくともテレビの全盛期には、テレビ受像器をビデオゲームのために使うことが「文化としてのテレビ」へのアンチテーゼである、みたいなニュアンスが、やはりあったのだろうか? オトナたちはいつまでも「テレビ」という終わりなき日常にまどろんでいるけれど、私たちは別の世界を知っている、みたいな。

もしそうなのだとしたら、知らないこととはいえ、自堕落に「テレビ文化が当たり前」みたいに振る舞うことで、ビデオゲームな人たちに「不快感を与えたとしたら謝罪したい」みたいなことを思ったほうがいいのかもしれないし、「そんな大げさなこと、あるわけないじゃないですか」と言ってくれたら一安心ではあるのだが……。

犯罪者がテレビ受像器をもっぱら放送・映像コンテンツ視聴以外の目的に使用する人だと発覚すると、それがテレビで有徴の特性として報道される、というのは、このあたりの事情に対する放送人の恐れやわだかまりがテンプレ化したと思える節があるわけですよね。

文化としてのビデオゲームは文化としてのテレビジョンに対する否定性である(であった)、のかどうか。

わだかまりは、既に私の知らないところで解けているのだろうか? だったらいいのだが、私が知る限り、この社会は差別や偏見を自動的に消化・消滅させるほど立派ではない、と思わせられる事案が色々あることを考えると、誰かがどこかで、何がどうだったのか、一度明言しておいたほうが良くはないか?