virtueの周辺

結論を先に言ってしまうと、「新人類の80年代」は、virtual な時代だったかもしれないけれど、当時のオトナたちが憂慮するような imaginary への耽溺は、むしろ希薄だったような気がする。だからこそ、90年代の imaginary なものの逆襲に足下を救われた、という流れなのではなかろうか、と思うのです。都市の広場の光学vs洞窟の闇の宗教、みたいな。(恥ずかしいくらいポモな言葉遣いになってしまっておりますが。)

現代日本の感覚と思想 (講談社学術文庫)

現代日本の感覚と思想 (講談社学術文庫)

現物入手。1980年代半ばの朝日新聞論壇時評で、公害・障害者・差別といった70年代風の「社会問題」と吉本隆明や浅田彰や中沢新一を同じ土俵で論じる文章群があとに続くのを眺めていると、「理想/夢/虚構」の三題噺における「虚構」は、virtual の語を想定しながら、実際には fictive だと思われていたんだろうなあ、という気がしてくる。

ヴァーチャル・ウィンドウ―アルベルティからマイクロソフトまで

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まだ、序論のキーワード集の途中までしか読んでいないが、virtual の語は、実像とレンズを通して見える像を区別する、といった光学の文脈で使われていた言葉だと知る。物質と対応する real ではないけれど、観念としての image というわけでもないような視覚像が virtual と呼ばれ得る、というような説明になっている。

virtual を「理想」や「夢」と対比する見田宗介流の「ふしぎな文学」とは別に、imaginary と virtual の対比ということが言えるようだ。

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用 (岩波現代文庫)

  • 作者: アラン・ソーカル,ジャン・ブリクモン,田崎晴明,大野克嗣,堀茂樹
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2012/02/17
  • メディア: 文庫
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で、これは直接確認していない伝聞情報だが、ソーカルは、ラカンが「虚数 imaginary」と「無理数 irrational」を混同している、と言っているらしい。例の「現実 real/想像 imaginary/象徴 symbol」の区別が、実数 real と虚数 imaginary という数学的な概念を何らかの形で参照する書き方になっていて、そこが変だ、というような話なのだろうか?

ラカンはさておき、見田先生は、virtual が real と対立する、と言うときに、ひょっとすると暗黙に、imaginary な領域のことを考えてしまいがちだったのではないか。virtual は透明・無臭である、という言い方はそうでもなさそうだけれど、論壇時評が「現実を直視せよ」的な文脈で様々な社会問題を取り上げるのを読んでいると、先生は、1980年代に注目を集めていた「新人類」を、unreal = imaginary とカテゴライズしていたんじゃないか、と心配になってくる。

私個人としては、光学的な virtual よりも、ルネサンス期に virtus/virtue の語が色々な領域でキーワードに急浮上していたらしいとわかって、そのことに興味を覚える。古代の宗教や思想では、光はもっぱら神や絶対者が天上から地上へもたらすかのような位置づけになっていたような気がするのだけれど、virtus/virtue の語を介して、人間固有の俗っぽい視覚像が指し示されようとしている感じがあるわけですよね。

グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ

グッド・ルッキング―イメージング新世紀へ

この本の邦題は「グッド・ルッキング」だが、原題は Essays on the Virtue of the Images であるらしく、どういうことになっているのだろう、と、視覚文化論方面に興味が増しつつある。