音楽と批評と東大

ハスミは。小説より大谷能生が絡んでいるこっちの対話が本命だろう。

瀬川昌久自選著作集1954-2014: チャーリー・パーカーとビッグ・バンドと私

瀬川昌久自選著作集1954-2014: チャーリー・パーカーとビッグ・バンドと私

蓮實重彦は80年代に武満徹と映画に関する連続対談をやって、これは、のちの武満徹にダニエル・シュミットの演出でオペラを書かせるプロジェクトとも絡んでいくような印象だが、武満もシュミットも早くに死んでうやむやになった。でも、それでよかったのかもしれない。いかにも「バブルの時代」っぽく筋の悪そうな話だと思う。

ゼロ年代に、菊地成孔が映画のことも書いたりするようになったところで蓮實重彦と対談したけれど、これは、かみ合わずに終わった印象がある。瀬川昌久と楽しげに話がはずむのを読んでいると、どうして菊地成孔ではダメだったのか、わかる気がする。ビバップ以前を、考古学者が化石を取り扱うのとは違うやり方で語りたいのでしょう。

元東大生が、「あの人は絡みづらい嫌な先生だった」という思い出を今さらのように言いだすのは、その程度の話を、さも天下国家の大問題であるかのように言われても部外者は対応に困る。

東浩紀の場合は、20世紀末の東大の先生たちに出版界と結託して権威の延命を測る動きがあって、その神輿に乗った総長蓮實重彦は戦犯として糾弾されるべき、ということだと思うが、これも、日本の出版業が東京に集中している現状と絡み合った「東国の大大名の御家騒動」という感じがして、巻き込まれてしまった方々にはお気の毒としか言いようがないけれど、やはりローカルな話だろう。

ローカルな話はローカルにやればいいだけのことで、東大生は、大学=東大=世界の中心、みたいに、やっぱり思いがちなのかなあ、という感想しか残らない。