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老人の官能小説を叱る愛国青年将校たち

買ったままずっと置いてあって、今夜も読む時間はないか、と思ったが、案外どんどん読めてしまった。

元総長のモラルやパフォーマンスを問題にする人たちが、新潮に掲載された小説を読んでいないのは間違いないよね。こういう小説を書いておけば誰も正面切って文句を言えなくなるだろう、というのは、なるほど、小谷野敦が言うように、くだらない、とは思うけれど、正義の美学者を気取ってポルノ規制への疑念を表明した元東大生が、蓮實重彦のことになると腰が引けてしまう、といった喜劇的な状況をもたらしたのだから、ちょっと面白い悪戯ではある。

ビートたけしを力尽くで偉くする映画評論家としての一世一代の遊びから、あまり進化していないような気がしますが、今回は他人を踊らせるのではなく「身銭を切った」(というより、ほぼストリップ?)なので、他人を巻き込んでいないところが一歩前進なのかもしれない。

小説を読まずに、したり顔でコメントを書いている人たち(「そのような殿方のアレはどのようでいらっしゃるのかしら?」「あの方々の考える公人の持ち物は、すべて公器なのかしら、まあ、なんということでしょう」)に、蓮實重彦の今度の小説はどういう内容だと思ってそういうコメントを出したのか、質問するといいんじゃないか。あらかじめ小説を読んでおけば、その人たちの脳内にある「東大元総長が書いた三島由紀夫賞受賞作品」のイメージとのギャップを楽しむことができると思う。imaginary とはどういうものか、格好の練習問題になりそうです。

[追記]

しかし、80年代の吉本隆明の浮かれぶりに対する「彼はメイドを自宅に雇うべきである」という蓮實重彦のコメントは、小説「伯爵夫人」を参照して読み直されることになるのだろうか?