オーケストラとオペラ歌手の「ポップス・コンサート」

2013年頃から Todo として保留していたことを調べ始めた。大フィルと関西歌劇団の「ポピュラー・コンサート」である。大栗裕も編曲で関わっている可能性がある。

例によって、私はこれらのコンサートに大栗裕がどのように関わったか、ということさえわかればいい、というスタンスなので、この調査にプライオリティは主張しない。戦後日本のクラシック系音楽家・音楽団体による「ポップス」を、昭和になって浮上した「セミクラシック/中間音楽」の系譜から今日のボーダレスに至る流れのなかにどう位置づけるか、関心のある人は自由に調べていただければ、と思います。(論文の種がきっと色々あるはずです。)

とりあえず、鳴り物入りで開催された=資料が見つかりやすいものとしては、

  • (1) 戦前から昭和30年代までは当たり前だった野外コンサート(空調設備がなかったので、しばしば夏場に行われる)。関西では、甲子園や西宮の野球場、京都の円山公園などが定番だったようだ。(大栗裕はこの種のイベントの末期、1950年代に関わっただけなので、私は本格的に調べる予定は今のところない。)
  • (2) 関西歌劇団の企画公演が、1960年代に東京オリンピック便乗企画としてスタートして、その後色々ある。これについては、関西歌劇団50年史に公演記録があるが、曲目までは載っていない。今のNHKのニュー・イヤー・オペラのようなオペラ名場面集が基本だが、カンツォーネやシャンソン、流行歌が入ることがあったようだ。この時期の関西には、オペラ歌手が出演するラジオ、テレビ番組もあったらしいが、これをリストアップした資料はまだどこにもないと思う。このあたりを網羅的に調べたら、きっと何かが見えてくるだろう。
  • (3) 大阪フィルも、1960年代に「ポップス・コンサート」と銘打つ公演を行っている。こちらは、労音や民音とのタイアップであるようだ。労音については最近調べる人が出てきているようだが、民音には、まだ手が付いていないのではなかろうか? 労音、民音を真正面から調べるつもりじゃないと、大変そうだが。

ちなみに1960年頃の大阪労音の例会には、「ポップス・コンサート」という名称でクライスラーやヨハン・シュトラウスを取り上げるオーケストラ演奏会があったりする。ルロイ・アンダーソンすら入っていない。すなわち、西欧19世紀の中間音楽を「ポップス」と強弁したわけである。

昭和前期には「ジャズ」という言葉があって、これを商業音楽と呼ぶべきなのか大衆音楽と呼ぶべきなのか、ともあれ、ジャンルと呼ぶには広い範囲がこの語で呼ばれていたようだが、昭和後期になると、「ポップス」の語が出てくる。1960年代がこの転換期であろうかと思う。オーケストラによる中間音楽公演も、そういう大きな潮流にリアルタイムに巻き込まれていた、もしくは、この潮流に反応していた。決して、お高くとまって、黙々とベートーヴェンを演奏していたわけではない、ということになりそうだ。(一連のコンサートにしばしば朝比奈隆が出演している。外山雄三先生に至っては、八面六臂の大活躍である。)