シンパシーの限界

SNSの意識の高いクラスターがにわかにテレビ批判に回る現象には、元東大教員に漠然と「身内」意識を持ってしまう彼らのドメスティックな俗情(それは「愚民」と彼らから見える人々が、他人事として有名人の些末な失態を叩く心情と構造的に何も変わらないと思う)が関与しているのか、それとも、賢いオレはそんな俗情を超越しているに決まっている、と言えるのか。

自制心は、まず、語りつつある自分自身に向けたいものである。

彼は、政治家として、それほどの実績や実力があったのだろうか?

そして、

「都」とはどういう行政単位なのでしょう? いかがわしいマンモスではないのでしょうか? 少し前には大阪でも「都」なる言葉が派手に揉め事を起こしていましたが。