ホルンの替え管

ベートーヴェンやブラームスまでのロマン派のホルンの替え管は、具体的に調べると本当に興味深い。どこがどうなっているのか、ナチュラルホルンで吹いてくれると、目で見ながらサウンドの変化を確認できますね。7番の交響曲は、両端楽章が高いA管で、第2楽章はE管であの幽霊みたいな節を吹いて、スケルツォは、主部がF-durだけど、トリオのために低いD管を使うんだ、あの2番奏者の半音はどうやってるんだろう、とか。

(クライバーがウィーンやミュンヘンで振った7番や若い頃のドレスデンの魔弾の射手は、きっと楽譜に色々手を入れているんだろうなあ、と思う。)

ただし、まだトロンボーンが装備されていなくて、ホルンが金管の中低音を一手に引き受けてサウンドを決める役割なのだし、本気でやるつもりだったら、やはり、弦もモダン楽器によるピリオド奏法とか、ヌルいことを言っていないで、楽器や奏法をちゃんと揃えないと、なんだかランドフスカ時代のモダン・チェンバロみたいなことになりそうですね。

今は、ベートーヴェンをオーケストラで演奏するのが難しい時代なのかもしれない。

どのソリューションも、決定版にはなりそうにない……。ヤンソンスやヤルヴィは、聴けばいいなあと思うけれど、それは、ベートーヴェン解釈としてどう、というのではなく、あの人たちはオーケストラを操縦する達人で、私たちはそのことに感心しているのだから、ホロヴィッツが弾けば何でも素晴らしく聞こえてしまう、というのに近いと思う。カリスマにひれ伏しているのであって、歴史と向き合うのを先送りしているに過ぎないのでしょう。