現代の国学

メロドラマ、ナラトロジー、フィクション論のあたりの文献を少しずつ見ているのだが、

メロドラマについては、前にも書いた MGG の Monika Schwarz-Daanuser の melodram の項目が現状でのサーベイとして出色、という認識でいいようだ。

ナラトロジー=物語論は、20世紀の文学論として広がりがありすぎて、気長に勉強するしかないみたい。なんとなく面白そうだと思って他分野から手を出す「つまみ食い」が横行したせいで、見通しが効かなくなっている印象がある。ゼロ年代には、ラノベやゲームのナラトロジーとか、そういうのも出て、活況を呈しつつ混乱が加速した感じがありますね。地道にやっている人がいるはずなのだけれど、その鉱脈を見つけるのに時間がかかりそうだ。

で、フィクション論というのは、一方に物語論があって、他方に認知科学のヴァーチャリティの議論がある状況で、2つを交差させたところに見えてくる幻影、疑似問題ではないか? 日本の人文系高等遊民が実体の定かならざるものについてあれこれ言い募る場がフィクション論であるらしく、どこかしら、その感じは「国学」に似ている気がします。しかるべき文脈を組み立てると、フィクションという項が要請されることはあるかもしれないけれど、領域横断的に「フィクションの理論」を立てるのは、どうも、筋が悪い気がしてならない。だから蓮實重彦におちょくられるのではないか?