共時性幻想

西欧の楽譜出版では、書物と違って19世紀になっても、出版年を記載しないのが通例だった。

あたかもすべてが「いまここ」において「アクチュアル」であるかのように売りたかったからだろう、と言われている。

哲学書のブックリストに出版年が記載されていないのを見ると、(単なる編集上の都合だったのかもしれないけれど)なんだか形而上学的で普遍的に時間を超越した何かを幻視させられたかのようで、ギョっとする。

でも、自然科学をモデルとする「議論の加速」は、時間のなかで、議論を歴史に組み入れることを認めないと、ゲームがスタートしないんじゃないだろうか?