単数以上、複数未満

表象文化論は東京文化論のようなところがあって、日本代表の自負みたいな事態を吟味する道具を70年代以降あれこれ揃えて、ときには(あるいはしばしば)「複数性の擁護」という言葉が関係者から漏れたように思うのだが、あれはどうなったのだろう。

半世紀経って、前と同じ都市でもう一度オリンピック、というのは、色々あって、それでも現状は単数以上、複数未満で、四捨五入したら日本代表は単数である、という見積もりなのかしら。