人生の選択

私は私自身の人生の選択として、吉田秀和を1965年の「日本人音楽家の運命」というテクストを起点に読み直すことに決めたわけだが、それは、三谷幸喜をファンとして見続ける、「真田丸」は全部観る、と決めるのとは、ちょっと意味が違う気がしている。

吉田秀和という人物は高名だが、「日本人音楽家の運命」というテクストは読まれていなさすぎるし、もうちょっと読まれてもいいんじゃないかと思うので、より多くの人にこのテクストが読まれるように、自分に何かできることはないものか、というようなことを考えている。

(そして「コンヴィチュニー推し」は、上の2つともさらに意味が違って、現代のオペラ演出について立派な仕事をしてくれそうな若い人がいることが判明しつつあるご時世でもあり、単に、「東条許すまじ」と思っているに過ぎない。)