Stadtmusikdirektor

吉田秀和が1965年に「日本の音楽家」を論じたときに、指揮者としての森正は京響の常任指揮者で「国内のオーケストラを誰よりもたくさん振っている男」という位置づけだった。また、日本のオペラに関して、二期会の歌手たちはドイツの地方劇場のアンサンブルのなかにポジションを得るのに十分な資質を備えているだろう、という言い方をしている。何度も言うが、1965年の段階でこういう目線で「日本」を言葉にしたテクストは、他に読んだ記憶が私にはないし、こういう主題を吉田秀和が正面切って書いたテクストを読んだ記憶もない。

そしてそういうものを読みながら、同時に、最近の井上道義の活躍についてツラツラと考えると、日本の洋楽論は、ドイツのハンザ都市あたりにある「街の音楽監督」というポジションをちゃんと定式化せずに今まで来ているのではないかなあ、と思ったりする。

(アルテスがサンフランシスコのマイケル・ティルソン・トーマスやアンサンブル金沢に注目したのは、「街のオーケストラ」「街の音楽監督」的な概念を創ろうとする努力なのだろうとは思うけれど、こういう話を今の日本で商業出版に載せようとすると、なんかちょっと違うベクトルが同時に入ってしまいますよね。おそらく山田治生という人も、経歴や資質から言えば、普通の音楽ライターにおさまってしまうのではなく、そういう話を本格的に展開することが期待されていたんじゃないのかなあ、と思うのです。いつまでも渡辺和さんにばかり頼るのではなく……。)

朝比奈隆は、ほぼ間違いなく、ある時期、大阪の Stadtmusikdirektor だったと思うし、大フィルはそういう仕事の後継者を探して、まずはミネソタで成功した大植英次に白羽の矢を立てて、次に、井上道義の金沢での成功に着目した、という流れだと思う。

お隣の京都のオーケストラは、森正、外山雄三から最近の大友直人、広上淳一まで、日本では例外的に、Stadtmusikdirektor の資質を備えた指揮者を見つけるのが上手い。

あるいは、小澤征爾や岩城宏之にあって、大野和士に足りないのは、たぶん Stadtmusikdirektor 的な何かだ、と言えそうに思う。(一方、佐渡裕は、個人というより、彼の周囲に組織されたチーム込みで、そういう仕事ができてしまう。)