それは「芸術の祭典」ではない

芸術新潮は1970年の大阪万博期間中にどういう誌面を作ったのか、興味津々で読み進めたのだが、案外、拍子抜けの印象だった。1968~69年の段階では、どうなることかと緊張している感じに、かなり大きな事前特集が複数回組まれたのだが、蓋を開けてみれば、我々が動くほどのものではない、ということになったのかもしれない。芸術新潮名物の「ぴ・い・ぷ・る」欄で、私のイチオシはこれだ、みたいなお題が出されて、江藤淳以下、各界の著名人のコメントを取っているのが、ちょっと面白い遊び方だなあ、と思える程度だった。

事前に様々な情報が出たけれど、結局のところ、この万博は「芸術の祭典」ではなかった、ということでしょうか。たしかに、それはそうかもしれませんし……。

71、72年は、公害、沖縄というトピックが出るようになって、世の中の雰囲気が変わってきたんだな、ということはわかるけれど、雑誌としての盛り上がりには欠ける。「芸術」というアングルでのジャーナリズムが難しい時代に入りつつあるのかなあ、という感じがある。

音楽関係の記事が、もっぱら洋楽の「演奏」と「録音」の話題になっていく傾向は1960年代後半からのことだが、ますます顕著になりつつあるようだ。オーディオ器機や新譜レコードの広告は華やかに増えているけれど……。