古代史ブームと芸術新潮

1973年の芸術新潮は、判型とページ数は従来とほぼ同じだが、写真がきれいに印刷できるツルツルの紙に変わって、分厚く重たい雑誌になる。そして巻頭グラビアは、古代史ブームの立役者、邪馬台国の松本清張と騎馬民族征服王朝説の江上波夫の対談で、天皇陵を検証する、みたいな話になっている。

何事かと思ったら、どうやら前年3月に発掘と学術調査が行われて極彩色の壁画が発見された高松塚古墳の余波であるらしい。

以来、梅原猛の連載はスタートするし、廃仏毀釈を考える、とか、在日外国人を感動させる密教(東寺)、とか、古代史がらみの記事がほぼ毎号どこかに載っている。(晩年の菅原明朗は美術に凝っていたようで、数年前1965年にはイタリアの古都巡りの紀行文を連載して、1973年の廃仏毀釈特集にも寄稿している。)

どうやら古代史ブームは、万博で前衛芸術が一段落して鮮度を失い、目標を見失った1970年代の芸術ジャーナリズムを蘇生もしくは延命させる救世主、有力かつ強力な鉱脈になったようだ。

ひとまず古美術、ということになるかと思うけれど、それだけではなく、考古学ということでポンペイやシルクロードの古代遺跡を紹介したり、石造りの建築や廃墟を楽しむ観点から西洋中世を取り上げたり、発掘された「モノ」の写真を多用するところから、石像・仏像・各種骨董への関心が活性化しているようにも見える。

秘境チベットと幻のアトランティスの話題も提供される。

草むす遺跡から栄華を誇った文化・文明を偲ぶ趣向は、オリンピック・万博の「夢のあと」、ポスト・フェストゥムな時間意識にぴったりだったのかもしれないし(高名なコレクターの膨大な遺品が国に寄贈された話が大きく紹介されているのは高度成長の豊かさの後始末、ということだろう)、同時にこれは、オカルト・ブームと接続しているようでもある。(古代の呪術とかいうことだけでなく、「滅びた者たちの怨念」というのも、古代史とオカルトを結びつけそうな感じがある。芸術新潮はもともと保守系だし……。)

山口昌男、中沢新一の登場は、こうして着々と準備されているようだ。

それから、高松塚は奈良で、千里丘陵の万博とは違う角度から関西が脚光を浴び続ける追い風になったようだ。梅原猛とか、シルクロードの井上靖とか……。(さすがに芸術新潮に司馬遼太郎は登場してはいないけれど。)

そして遺跡・古美術・骨董は、列島改造「地方の時代」ディスカバージャパンとの相性もぴったりですよねえ。棟方志功が再び脚光を浴びるのは、この流れだろうという気がします。

わかってしまえばあっけない話ですが、大栗裕がちょうどこの年、1973年秋に、天の岩屋戸の物語による「神話」を書いたのは、反時代的なことではなく、当時の中高年芸術愛好者の趣味関心の直球ど真ん中だったようですね。

(山登りというのも、古代史・山岳信仰・地方の時代で説明できてしまいそうですし……。)

それにしても、1973年にいきなり雑誌が重たくなって、いきなり古代史・古美術路線にシフトするのは、びっくりします。ジャーナリズムは、世間の風を読む、ものなのでしょうけれど、この激変はすごい。