音楽のTPOと政治談義のTPO

増田は、いつどこでどういう音・音楽を鳴らすかということは常に潜在的・顕在的に政治的であり得る、というTPOの話をして、辻田は、今では政治的背景に思いを馳せることなく享受されている音・音楽のコンテンツが成立時には特定の政治的文脈に置かれていた、という風に音・音楽が機能する文脈の話をしているが、

しかし、SEALDsの人や津田大介の件は、別に彼らが集会で楽曲をプレイするわけじゃないのだから、これは音・音楽(楽曲・コンテンツ)の政治性の話ではない。だから増田の論は、あさっての話をしていることになる。

また、辻田は、クラシック音楽も政治的である、例えばベートーヴェンはナポレオンを意識して……、と言うのだが、しかし、仮にエロイカ交響曲が当初の計画のままナポレオンに献呈されて、ベートーヴェンが実際にパリに行って、成り上がり皇帝に閲見して、そこで、共和主義についての自説を演説したとしたら、おそらく「音楽家は黙っていろ」と言われただろう。

(もしかすると、革命後のパリでは誰もが政治的に発言するチャンスがあって、ベートーヴェン氏が制止されることなくそのまま発言・行動することができたかもしれないが、それは、音楽家の政治的発言ではなく、むしろ、「ベートーヴェン氏の政界進出」「音楽家から政治家への転身」であり、やはり、別の話になる。)

クラシック音楽から例を挙げるのであれば、革命前夜のウィーンの啓蒙君主がモーツァルトにフランスの貴族風刺劇のオペラ化を鷹揚に許可したり、

モーツァルトの台本作者 ロレンツォ・ダ・ポンテの生涯 (平凡社新書)

モーツァルトの台本作者 ロレンツォ・ダ・ポンテの生涯 (平凡社新書)

ナポレオンを押さえ込んだあとのメッテルニヒの王政復古期に、シューベルトが足繁く通った文学や音楽の集会でスイスの革命家と共鳴して、彼の詩に作曲したりして、

〈フランツ・シューベルト〉の誕生: 喪失と再生のオデュッセイ

〈フランツ・シューベルト〉の誕生: 喪失と再生のオデュッセイ

それでもウィーンではそのあと何も起きなかった、せいぜい1948年に奇妙な乱痴気騒ぎが起きた程度で、オーストリアは政治的に凋落の一途をたどった、という話のほうが、フェスの政治性を考えるうえでは、参考になるんじゃなかろうか? (増田が後半で示唆する「ロックと政治のトホホ感」は、左翼の挫折を意識してはいるのだろうけれど。)

青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年 (平凡社ライブラリー)

青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年 (平凡社ライブラリー)

音楽の政治的TPOや政治談義のTPOに思いを馳せるのはいいけれど、粗雑な論議で相手を無理矢理押さえ込む風土は、民度が低いよね。相手が納得しているようには見えないし……。