芸術という規範はポピュラー音楽を虐げてきたのか?

前の記事の続きです。

90年代にポピュラー音楽研究の旗を掲げた人たちは、ちょうど60年代に民族音楽学を立ち上げた人たちがそうだったように、音楽研究は西洋芸術音楽のことしか眼中になく狭量である、門戸を開け、と、やたらに攻撃していたわけだが、

学問の方法論の更新が慎重で緩やかなのは、まあ、どの分野でもそういうところがあるだろうし、いきりたたなくても、20年経ったら、漸進的に状況が変わっていますよね。

で、芸術雑誌ではミュージカルが演劇に入っている、というのは、さらに別の可能性を示唆しているかもしれない。

1960年代70年代、あるいはもっと前から、自宅の蓄音機や高性能ステレオではもっぱら泰西名曲(クラシック音楽)ばかり聴いているけれど、ラジオから流れてくる聴覚文化のコンテンツは何でも面白がるし、映画のサウンドトラックや演劇のBGMにジャズやロックが鳴っていても顔をしかめたりはしない。そういう風なライフスタイルが、むしろ普通にあったのではないか、ということです。

受容論として言えば、19世紀の美学に「E-Musik(まじめな音楽=芸術)」と「U-Musik(楽しむ音楽=娯楽)」の区別というのがあるわけですが、これは、作品の美的な質の違いではあっても、聴衆が2種類に分断されていたわけではないとされます。都市生活者ブルジョワは、コンサートでシンフォニーを鑑賞して、カーニヴァルの舞踏会ではワルツを踊り、自宅で娘たちに「乙女の祈り」を弾かせた。同一の階層が、「E」と「U」を使い分けて平行して受け入れたと考えられています。

同じことが、アートとポップスに言えるのではないか。

また、これは「音楽」という概念の問題でもあるように思います。

音響再生産技術の登場や制作者の理念・美学の変化で、20世紀の「音楽」はサウンドの制御・操作・洗練の飽くなき追求の場になったように見えます。「音楽鑑賞」とは、そのようなサウンド制御の成果物を享受することであり、「音楽」と言ってはいるけれど、そのなかの特定の領域に対象を絞り込んで先鋭化する傾向があったようです。

当然、サウンドの制御というベクトルからこぼれ落ちる「音楽」が出てくるわけだが、でも、そのような「その他の音楽」は、捨て去られたり無視されたわけではなく、「音楽鑑賞」とは別の回路に回収されていたのではないか。

諸民族の音を用いた営みが人類学的関心の対象になるのはわかりやすいところですが、ポピュラー音楽の場合は、鑑賞の対象というより流行・風俗であり、だから、「音楽」としては「その他」扱いされるけれど、ドラマ(ミメーシス)の領域では、むしろ、積極的に推奨された。

これはこれで、それなりに安定した文化システムだったのではないかと思うのです。

(蓮實重彦は、ヴィム・ベンダースを追っかけのように観ていたのだからライ・クーダーのギターを聴いていないはずがない、とか、そういうことになる。コーンゴールドのことは80年代の武満徹や淀川長治らとの対話でも話題にしているし……。)

21世紀になって、「音楽」の複数化を否定するのはもはや愚かだと思いますし、クラシックコンサートにおいても、オーディオ器機に関しても、サウンドの制御・操作・洗練を特権的に追求することはなくなっているように思います。「音楽専用ホール」なる建築物はむしろ次第に使いにくいと思われつつあるようだし、シリコンオーディオをイヤホンで聴いてもノープロブレムな雰囲気がある。

音楽研究が民族音楽やポピュラー音楽に門戸を開け、という主張は、どこかしら、最高級オーディオ器機でガムランやビートルズを大音量で鳴らす「成り上がり」的な欲望を学問の装いで充足しようとする感じがあったわけですが、これもまた、今ではもう過去の過渡期のエピソードだろうなあ、と思うのです。

「音楽に政治をもちこむな」、音楽鑑賞の楽園を守りましょう、と叫ぶのは、その欲望がよってたつ土台を忘れている点で愚かだろうとは思います。その欲望は、露骨に政治的です。

でも、あらゆる音楽を「音楽」に成り上がらせようとする愚かかもしれない欲望がなければ、「音楽」概念の複数化が進むことはなかったかもしれない。

政治を忘れることが愚かなのではなく、政治的アクションの先にしか自由はない、ということを忘れているのが愚かなのではないでしょうか。